思いきりよく、感傷的に
この日曜日は、わたしにしてはめずらしく、大きなピアスを選んだ。
直径35mmの18金のフープピアスに、同じく18金のプチピアスをサブとして合わせた。思いきりのいいフープのサイズ感が大好きだ。
大ぶりなフープピアスは、これまでつけるのをためらってしまうことが多かった。幼い双子の娘たちの世話であわただしくしているうちに引っかけるのがこわかったのだ。ピアスホールが切れでもしたら一大事である。
そんな娘たちも今年で7歳になる。小学校に上がり、わたしとべったり過ごすわけでもなくなった。
ならば、一人の時間には好きなものを身につけて出かけてみよう。夏には真っ白なTシャツにゴールドのフープピアスがつけたくなる。「お風呂かーい!」とツッコみたくなる暑さが続いているけれど、気分くらいは夏を楽しみたい。
金色のフープピアスを揺らしながらスーパーまで歩いていると、娘たちが赤ちゃんの頃を思い出した。
火がついたように泣く双子をあやすのに疲れて、ベビーカーに彼女たちをのせて飛び出すように外出すことがあった。隣駅まで延々と歩く日もあった。彼女たちは、なぜかベビーカーにのっているあいだはまったく泣かない赤ちゃんだった。
静かで穏やかなベビーカー散歩のおともは、いつも小さな小さなピアスだった。娘たちの世話をするのに邪魔にならず、危なくもないものばかりを選んだ。爪留めは避け、丸みのあるデザインのものを。なんなら、疲れはててピアスをつけたまま眠ってしまう夜もあったから、安全性を第一条件に据えていた。
「それが、こーんなに大きめのフープピアスを選んで一人で外を歩ける日が来るとはね」、心のなかでつぶやいてみる。
蝉の声よりも耳を刺す双子の泣き声の大合唱に追いつめられた日々もあったけれど、あれもわずかな期間だったように思える。赤ちゃん期ならではの愛くるしさにたくさん救われてなんとかやってこられた。
あの暮らしが遠くなってしまうとまた尊く感じられるもので、耳もとの輪っかの重みがなんだかせつない。
「今、むしょうにあの子たちの泣き声が聞きたいなあ。赤ちゃんのときのやつ」
そう言うわたしに、夫が不思議そうな顔をしていた。昔の苦労はなんでも美化されて、宝物になる仕組みが存在するらしい。
だとしたら、今のちょっとしたつらさもいつか宝物になるんだろう。そう確信できるだけ大人になったのは、お得というか、神様にうまく丸めこまれているだけというか。どちらにせよ、生きるのがほんの少し楽になった。
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