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お父さんに花束を。

子ども心に「悔しいって、こういう感情のことなんやろな」と理解した日のことを憶えている。

わたしは、へんな記憶力だけはいいほうで、小学校で担任だった先生の誕生日と干支、お嬢さんの名前などをいまだに思い出す。同級生のお母さんがわたしの両親と同郷だったことやその誕生日も記憶している。

たくさんの出来事のなかで局所的にはっきりと記憶がつぶだっているような箇所があるのだ。その一つの話である。

わたしが幼い頃、父が勤める会社では社員総出で運動会が開催されていた。大きな緑地に併設された運動場に社員が家族を連れて集合し、学校の運動会のようにいろいろな競技に参加する。ちびっこたちによるかけっこなんかもあって、たしかわたしも走った。

お昼になり、レジャーシートのうえに座ってわたしたち家族がお弁当を広げていたとき、一人のおじさんが近づいてきた。父の上司か、それに近い立場の人だったらしい。そのおじさんがなにやら父に言葉をかけているのがわかった。なんだか、ぞんざいな口調だなあと思っていた(当時はそんな言葉は知らなかったが)。

おじさんは、わたしと妹にも「何歳なんや」と話しかけた。しかし、わたしたちが答える前に、こう言った。

「あんたらのお父ちゃんは、器用貧乏やからなあ、かなんなあ」

「かなん」とは、どうにもならないとか、困ったとかいう意味の大阪弁である。つまり、わたしの父はいろいろと器用に物事をこなしはするがいまいち使えない奴だと言いたかったのだろう。

子ども心にムッとした。小馬鹿にしたような調子でもあり、いいことを言われているわけではないのがわかったからだ。うつむいて黙っている父の姿に、理不尽さも感じた。

先日、たまたまスーパーマーケットで父とばったり会った。近所に住んでいるので、ときどき遭遇する。母に頼まれたのか、父がキャベツとカット野菜のパック、納豆を買い、楽しげな足取りでレジに向かったのを確認してから声をかけた。

「お父さん!」

父は笑顔で「おお」と言った。並んで歩く。わたしは大昔の運動会での嫌な出来事を思い返したばかりだったから、つい聞いてしまった。

「お父さん、毎日楽しい?」

「ほーん、楽しいよ。おかげさまで毎日ぼちぼちええ感じですわ」

そう言ってぱっと開いた笑顔を見て、父をちょっと誇らしく思った。ああいう時代を経てやっと穏やかな日々を得たのだから、のんびり楽しく生活してほしい。父のこれからが充実したものであるよう、心の底から祈っている。

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