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「ありがとう」を求めていたのか問い続ける

6歳の娘たちには「ありがとうの言葉は大切だよ」と教えている。誰かにものや優しさをもらったら「ありがとう」。愛する人にも「そばにいてくれてありがとう」。感謝は口にしなくてはなかなか伝わらないから、言葉にしなきゃ。ありがとうは、魔法だよ。そう教えてきた。

でも、「ありがとう」について話すとき、いつも思い出す出来事がある。

娘たちを産む前、いくつかボランティアをしていた時期がある。

ある事業所では、利用者さんの話し相手になったり、ちょっとした添削をしたり、見守り要員のようなことをしたり、いろいろな作業を担当していた。昼食の用意は利用者さん自身でしてもらうが、途中で困ったことがあればサポートする。そのついでに「ちなみさんってヨガやってるんでしょ? ポーズ教えて!」なんて言われて雑談に興じることもあった。

そうやって利用者さんとも他のスタッフともいい関係が築けていると思った頃、ちょっとしたいき違いから私が利用者さんの非難を受け止めることになった。いきさつや内容はくわしく書けないけれど、大人になってなかなかここまで罵倒されることはないだろう、と思うような言葉たちが私のもとに飛んできた。

しばらくスタッフルームで落ち込んでいた私に、こんな言葉がかけられた。

「『ありがとう』の言葉が欲しくてボランティアやってるんだったら、辞めたら? ここはそういう世界じゃない」

事業所関係者の一人からだった。

私は感謝されたくてボランティアスタッフになったのだろうか。そんなつもりはなかったけれど、いつのまにかはき違えてしまっていたのか。そういう世界じゃないって、どういう世界だろう?

ボランティアじゃなくても、ボランティアでも、「ありがとう」の言葉が存在する空間は素敵だと思う。けれど、「ありがとう」と言われることを目的にするようになってはいけないということなのだろう。

その後、諸事情から事業所はなくなり、私も出産してボランティアができなくなった。

「ありがとう」が欲しかったの? この言葉への答えがいまだに見つからなくて、ボランティア活動に復帰できずにいる。

けれど、娘たちには「ありがとう」を伝える尊さだけは教えたい。私にできることはそれくらいしかない。そして、子育てが落ち着いて、ボランティアに戻りたいと考える頃には、問いの答えが出ているといいなと思う。

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