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あいまいさという自由をこの手に

このあいだ、母がいくつかアクセサリーを持って我が家を訪れた。どれもわたしが若い頃のもので、実家を取り壊す際、ドタバタのうちに母のジュエリーボックスにまざってしまったらしい。

そのなかにあった1本のネックレスを見て、わたしは「わわわ、懐かしい……!」とのけぞった。

トップにしずく型のペリドットがついた、シルバー製のネックレス。シンプルな喜平チェーンがさわやかな黄緑色を引き立てている。

素敵なネックレスだ。ペリドットはわたしの誕生石でもある。なのに、これを身につけたことはほとんどない。

このペリドットのネックレスは、わたしが20代に入ったばかりの頃、男性の友人からプレゼントされたものだ。考え方や本の好みがよく合うことから、一時期、ものすごく頻繁にお茶や食事に行った間柄の人だった。

そんな彼の留学が決まったとき、ネックレスをもらった。「お餞別せんべつを渡さなければならないのはわたしのほうなのに、なぜかプレゼントをもらってしまった」と焦り、あわててわたしもお返しにプレゼントを贈った。

留学先から何度か連絡をもらったけれど、数年後に彼との交流は途絶えた。彼の帰国時にタイミングが合わず会えなかったし、わたしはわたしでいろいろなことが身にふりかかっていた。

あるとき、ネックレスのことを知った女友達が言った。

「彼、ちなみちゃんのことが好きやったんやない? 誕生石のネックレスなんて、気のない異性に贈るかなあ?」

「恋バナ」好きの彼女がたびたびそう言うものだから、わたしは変に考えすぎてしまい、ネックレスを身につける機会を失った。

ネックレスをつけるのは何かを期待しているようでおかしい気がしたし、逆に、かたくなにつけずにいるのも自意識過剰に思えた。モテない女子はこういうとき正解が見つけられない。

結果、ネックレスは長いこと実家の小物入れに眠り続けた。

そうか、あのネックレス、出てきたんだ。20年ぶりくらいにまじまじと見たネックレスは、やっぱりかわいい。

彼が気まぐれでプレゼントをしてくれたのか、女友達が言うような意図があったのか、今もわからない。彼に連絡をとるすべも、とるつもりもない(せっかくいただいたのにちゃんとつけなくてごめんなさい、と謝りたくはある)。

でも、今のわたしはなんの気負いも無理もなく、こう言える。

「もうそれは、どっちでもええんちゃうか」

いっとき、とても仲良くしてくれた人がいた。あのときは楽しかった。きれいなプレゼントまでもらって嬉しかった。それだけでいいんじゃないだろうか。

どっちでもええよ、と言って日常に戻れるわたしは、当時よりちょっと自由だと思う。

このネックレスは「思い出箱」に大切にしまっておこう。


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