素晴らしきごちゃごちゃワールドへようこそ
ある日の午後、長女(6歳)が唐突に言った。
「アッサラーム・アライクム、だよ!」
わたしはびっくりした。それはたしか、アラビア語ではなかっただろうか。
「? アラビア語? どうしたの? なに、突然?」
わたしに質問攻めにされた長女は、胸を張って答えた。
「国旗の絵本で、サウジアラビアのところに載ってたよ。ほかにもいろんな国の旗と挨拶がかいてあるよ」
我が家の双子姉妹は、二卵性だからなのか、それぞれ興味の対象がまったく違う。次女は今のところおしり探偵シリーズの本に夢中だけれど、長女は地図や国旗の本が好きだ。なぜか私の母からごくふつうの道路地図を一冊もらい、飽きずにずっと眺めているほど。
わたしは地理の勉強があまり好きではないので、2022年版の道路地図とはそんなにも面白いのだろうかと不思議に思って見ている。
さて、「アッサラーム・アライクム」とはアラビア語で「あなたがたに平安がありますように」という意味なんだそう。
「アラビア語の挨拶なんやね。今調べたら、すごく素敵な意味らしいよ」
わたしが言うと、長女は嬉しそうに何度もアッサラーム・アライクムと呟き、もう一度聞いた。
「じゃあさ、素敵じゃない言葉っていうのもある?」
うーん、と考えてから、わたしは言った。
「ママはアラビア語のこと全然知らないけど、日本語はそうやん。汚い言葉もあるやん。きっと何語でも、素敵な言葉と素敵じゃない言葉があるやろね。きれいな言葉だけじゃ成り立たへんのとちゃうかなあ」
「じゃあ汚い言葉も覚えなあかんのかー、大変やな」
長女はふんふんと頷きながら子ども部屋へ戻っていった。また地図の本を読むのだろう。
言葉を自在にあやつれるようになる過程で、きれいな言葉から汚い言葉まで知ることになる。自分を癒し、勇気づけてくれるものから、奈落の底へ突き落とそうとするものまで。
だから、何を選びとる人になるかが重要なんじゃないかと思う。美しい言葉を使う人は、汚い言葉を知らないのではなくて、「選ばない」だけなんだろうな、と感じることがたびたびある。
娘たちはこれから素敵なものも、素敵じゃないものも知っていく。そして、自分の心に適う言葉を選びとって、自分をつくっていく。母親として、そのサポートができたらいいと、ふと思った。
それにわたし自身、この世の猥雑さが嫌いじゃない。汚い言葉が悪かというとそうでもない現実を知っている。
「ようこそ、このごちゃごちゃの世界へ」と、もうすぐ7歳の娘たちに言いたい気分である。大人になるって楽しいぞ。