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おもろいは一日にしてならず

このあいだ、憧れのやりとりを見かけた。わたしがずっと「やってみたい」と思っているタイプのコミュニケーションを。

近所にある、昔ながらの喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、元気なおばあさんがドアを開けて入ってきた。何度か会ったことのある方だ。きびきびとした動きと、明るい表情がトレードマークだとわたしは勝手に思っている。

おばあさんはわたしの隣のテーブルにいたおじいさんを見やると、はっとして言った。

「あらっ、山田さん(仮名)やないの! えらい男前が座ってると思ったら!」

お知り合いだったらしいおじいさんはさっと手をあげ、「ほいな」と返す。おばあさんの言葉をまったく真に受けぬまま、少しだけ世間話をする。

そのあと、二人は別々のテーブルでコーヒーを飲んでいた。親しみと距離感が絶妙なバランスを保っている様子を見て、わたしは「なんかいいなあ、こういうの」と思った。

二人のあの会話。たわいのない、軽いユーモアをまじえた大阪ノリのやりとりが印象に残った。

わたしがもっとも苦手とするのがこういう会話だ。

「えらい男前が座ってると思ったら!」と言われて嫌な気がする人は少ないだろう。こんなふうにさらっと嫌味なくお世辞(?)を織りこんで話すのは、意外と難しい。

わたしは大阪生まれ大阪育ちだけれど、このあたりがうまくない。流行語になった大阪弁「知らんけど」も使えないし、使わない。知らんのやったら言わんかったらええ、と思ってしまう、融通のきかないタイプである。

この手の人間が、先述のおばあさんのような軽妙なコミュニケーションを真似すると、痛い目にあう。会話にユーモアがいい感じにのってこない。「すごーく無理してる感じ」がぷんぷん漂って、寒々しい空気を生むことになる。

いつか大阪っぽいこなれた会話をしてみたいなあ、と思うのに、なかなかそんな機会がない。おばあさんのように酸いも甘いも噛みわけた風格も出てこない。場数を踏まないとあの雰囲気は出せませんて。

面白いことを関西弁で「おもろい」と言う。たぶん「おもろさ」は一朝一夕には完成しないんだろう。よし、もうちょっとおもろがりになってみようと思った金曜日。

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