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その嗅覚に従ってみる

わたしには、許せない人や心底きらいな人があまりいない。だいたいどんな方にでも好ましい点を見つけられるほうだ。「あの人は受けつけないわ!」と主張することはほぼない。

好悪の区別があいまいなんじゃないかとか、逆に好きな人も少ないんじゃないかとか言われるのだけれど、そうでもない。好きな人に対しては、熱狂に近い愛を傾ける。「きらい」という感情にエネルギーを注ぎたくないだけだ。

一方、わたしは自分をきらっていそうな人を妙な聡さで嗅ぎわけられる。たぶん、けっこう多くの人が持っているありふれた能力だと思うけれど。

「あ、この方、きっとわたしのこときらいだろうな」とすばやく感じとる。そして、それはいくつかのタイプに分類されるとわかってきた。

うじうじと煮え切らないわたしの性格にいらだってしまう方、思ったより言うことを聞かないわたしに腹を立てる方、など。自分の至らなさが申し訳なくなってしまう。

仕事はともかく、この数タイプの方々にプライベートでお会いすると、「ああ、きらわれてしまいそうだな」という予感に包まれる。その尻込み具合は相手にも伝わってしまう。結果、あまり親しくなれないまま、一定以上の距離を保ったお付き合いが続く。

距離を詰められないことで失うものもある。もっと仲良くなれれば、人付き合いという面で新しい地平が見えてくるかもしれないのに、それができない。

ただ、わたしのことを好く可能性の低い人と距離を保つことで、心の平穏は維持できる。

身近な方が、常々おっしゃっている。明るくて朗らかで優しい方だ。

「この年になるとね、私のことをきらいな人とは無理して付き合いたくないの。わがままかもしれないけど、お互いに好いている仲間と楽しく生きていきたいの」

「お姉さま!」とふるいつきたくなった。諸手を挙げて、大賛成である。

かりに人生80年くらいとすれば、わたしは今、折り返し地点に立っている。ここに来るまではいろいろあった。わたしをきらう方に対して、不必要なまでの果敢さで向きあったこともある。そのほとんどは玉砕した。

でも、そろそろ心穏やかに過ごすことを考えはじめてもいい頃じゃないかと思うのだ。

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