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強がりでいいから言わせてよ

最近、ネットニュースを見ているとこの手の記事が目に留まる。

「タレント○○がまるで20代に見えると騒然!」
「50代に見えないと△△のインスタにコメント殺到!」

よく見る。ほんとうによく見る。

俳優さんやタレントさんがお若く見えることにファンのみならず誰もが驚嘆のリアクションをしている……という内容だ。

しかし、わたしは自他ともに認めるファザコンだからなのか、若さが最上の価値だとは思えない。男性だけでなく、女性についてもそう感じる。

人は年をとったぶん優しくなったり、思慮深くなったりする。例外もあるけれど、だいたいの人に当てはまることじゃないだろうか。

ファザコンの話に戻ると、わたしは小学校から女子校で育ったので、同年代の男性と健全な交流が持てなかった時期がある。とくに中学生の頃なんて、男子が嫌いだった。ふだん触れ合っていないからその異質さがきわだって感じられて、こわくもあった。

おかげですっかり父が大好きなファザコン娘に育った(今も)。

「素敵だなあ」と思う異性も大人ばかり。それも、父より年上の俳優さんや著名人が多かった。

高校生の頃からわたしが好きだったのは、宇津井健さんだ。あのきりりとした佇まいと柔らかな物腰、なにより知的な眼差しに魅了された。「(読書家として知られる)児玉清さんと本の話をしたいなあ」と夢想したこともある。

その頃の総理大臣は橋本龍太郎氏。政治的なことはさておき、歌舞伎役者のような風貌がかっこいいと思った。それを聞いた友人に「じいさんやん!」とツッコまれたのが忘れられない。

女性も、「夏木マリさんかっこいい!」と言い続けてきた。あの風情にあのスタイル、誰にでも真似できるものではない。

どなたも若造にはなかなか見られないタイプの知性と経験値を感じさせる。うーん、いい。

こういう感じで生きてきたから、ずっと「若いからなんじゃい」と心の中で思っていた。若さも大事だけど、経験を積んだからこそ醸し出せる魅力もあるのだと信じてきた。

若さにはもちろん、なにものにも代えがたい価値がある。でも、年を重ねることにも同じくらい価値がある。実際に若いことと若々しいことだって、また別だ。しわがあっても若々しい人もいる。若く見せることに躍起にならなくたっていいんじゃない?

……という感じ方が認められる世の中だと楽しいのになあと、だらだらiPhoneを眺めながら思う。

アラフォーになった今、こんなことを言ったが最後、「おばさんの強がりじゃん」と返り討ちにあうのはわかっていても、やはり書きたくなった次第である。

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