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四年目のアーモンドに寄せて

我が家のアーモンドが花ざかりを迎えている。

今朝見たところ、これよりももっとたくさん咲いていました。
心なしか、去年よりピンクが濃いめのような……?

この家に引っ越してしばらくした頃、父からもらったアーモンドの苗。

植えて一度目の春は葉もあまりつかなくてやきもきしたけれど、おととし、はじめて花を見せてくれた。幹も太く、つややかになったように思える。桜に似た可憐な花に、娘たちもわたしもすっかり夢中だ。

つぼみの「つ」も感じられない頃から大切にしてきた。園芸などしたこともなかったわたしに植物を育てる楽しみを教えてくれた木だ。

通りすがりのおばあちゃまに「これは桜じゃないわね? なんの木?」と話しかけられることもある。

そう聞かれると、まるで自分の手柄のように誇らしげに「アーモンドです!」と答えたくなってしまうわたしがいる。比較的育てやすい花で、それほど手入れしなくていいので、ほんとうは手柄もなにもない。

娘たちが3歳のときに植えたから、彼女たちの記憶にはその成長過程が残っている。

「芽、でた?」
「葉っぱ、出たねえ」
「あれ、つぼみかなあ」
「つぼみ、ちょっとふくらんでない?」

会話しながらシャワーで水をあげ続けてきた。今では彼女たちは自分で水やりをしてくれる。

1年半前、愛犬カンちゃんを見送ったときに三人で「アーモンド、来年も咲くかなあ」と話したのを憶えている。あの夏、彼女たちははじめてペットの最期を看取った。

そして翌年、当たり前のようにアーモンドの花は咲いた。

今年も気づけば以前より葉が茂り、花の数も増えた。いっしょに育っている感覚なのか、娘たちはアーモンドをいつも気にかけている。

「お花、咲いたね。公園の桜とちょっと似てるね」

喜ぶ彼女たちを見ていると、イギリスには「子供が生まれたら犬を飼いなさい」という作者不詳の詩があるらしいことを思い出す。犬は子どもに寄り添い、遊び相手となり、愛情や命の尊さを教えてくれるというものだ。

残念なことにカンちゃんは寿命をまっとうし、いってしまった。けれど、娘たちがカンちゃんを忘れず、アーモンドとともに健やかに育ってくれるといいなあ、と思っている。

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