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キリスト教の好ましいところと嫌いなところ

 昨日、今日と動悸がして、「これって精神的なものかな、内科的なものかな」と思いながら精神安定剤を飲んだらピタッと治まった。僕は精神安定剤特有のふらつきが嫌なのでこの薬は処方されてからずっと飲んでいなかったのだけれど、とりあえずよかった。最近、ちょっと自分を追いこみすぎてきつかったからなあ。と思っていたら、激しい眠気。参った。

 さて、今回はちょっと過激に行きたいと思います。僕を長年救い、苦しめてきたキリスト教についてのお話し。中でも、この宗教の好ましいところと苦手なところをいくつか挙げたいと思う。大した話ではないけれど、まあザックリと。

 好きな点 人間は全員が罪人で弱いという考えかた

 キリスト教が発展した最大の理由はこれだと思う。みんながやましいところがあるということを、認めてあげる宗教ということだ。ある意味、人の罪悪感につけ込んだ宗教とも言える。しかし、「あなたは罪人だが、その罪は実はすでにイエス・キリストが償ってくれている」というのはやはり救いになると思う。
 また、不完全さゆえの弱さに寛容なのもいいところだ。人間の失敗が許されている。遠藤周作の『沈黙』における、「弱い私はどうしたらいいんですか」というキチジローに対して、キリスト教は必ず祈る。これがキリスト教の最大の美点だろう。

 好きな点 人が人を裁かないところ

 「裁いてはなりません、あなた自身が裁かれないためにです」という聖句は、本当は「神以外に裁きの権利はない」という意味だろうが、人間が謙虚になれる聖句だと思う。僕もなるべく実践したいが、なかなか余裕をなくすとできなかったりする。

 嫌いな点 避妊を認めないところ

 これは嫌いな点と言うより、「そりゃちょっと違うんじゃないですか」と思うところだ。僕はカトリックではないが、カトリックのローマ法王が性感染症の予防の場合に限りコンドームの使用を認めたのが2010年。遅い、あまりにも遅い。キリスト教には、創世記に書かれた「産めよ増やせよ」という考えかたがあるので仕方がないとも言えるが、ちょっと禁欲的すぎるんじゃないかなあ。

 嫌いな点 偽証は罪が行き過ぎているところ

 僕は子供の頃から親に「嘘をつくな」と言われてきたので、けっこうマジで嘘をつかない。今、働ている仕事先に履歴書を提出したときにも、「こんなに全部書かないで適当に嘘書けばいいのに」と笑われたけれど、できないのだ。それはいいことなのかもしれないけど、精神的な圧迫感が凄い。ここは日本式の「嘘も方便」という考えかたがあってもいいと思う……。

 週1回の連載になってから、なぜか調子が掴めていない。なんとかもう少し濃い内容にしたいものだ。

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