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夜、セミ、骨

 終電にはまだいくらか時間があったが、間に合わせようと急ぐには気が乗らず、かと言って歩いて帰るには距離もあるし、そういう時間や体力は残されていないように思えたので、最近流行りの電動キックボードに乗ってみることにした。

 一部では安全性への指摘もあるようだし、実際、歩行者として街を歩いている際に見かけるその利用者の中には、結構危なかしい(というか普通に信号無視してなかった今?みたいな)運転をしている人もいるように思える。

 そのうちなにか重大な事故が起こって社会問題になり、2023年頃にはそんなのもあったね〜というような一時の流行りモノとして終わるのかもしれないし、あるいはちょっとした犠牲くらいは目を瞑って、便利な交通手段として残り続けるのかもしれない。

 しかし今のところ、そういった社会的な分岐のレバーを自分が握っていることもないようで、せいぜい、こうして与えられるがまま利用するか、あるいは早々に諦めて掃き溜めの終電車に小走りで向かっている自分がいたか、という程度の話である。

 ポートで利用開始の操作を終えて走行を始めた。この乗り物、ハンドルには自転車のようなブレーキがついており、右手側の親指あたりにボタンのようなレバーがあって、それを押し込むことでアクセルとして機能するようになっているのだけど、これが結構クセのあるもので、慣れるまでちょっと覚束ない。車や人の往来の少ない通りを選んで、加速の具合とか、ブレーキの効き方なんかを確かめるようにして進む。

 レバーを押し込むと思ったよりも力強く加速して、最高速度に到達するとそれ以上スピードが増さないように制御されているらしい。どうも最近、最高速度の制限が緩和されて車道では20 km/hまで出していいことになったようで、レバーを全開にして進むと体感的には結構なスピードになる。

 色々試してみて、レバーを半押しくらいのビミョーなところで調節して、11〜13 km/hくらいでのんびり走行するのが自分には良さそうだなぁと心得る。ぬるい夏の夜の空気が身体にまとわりついて、昼間の暑さも、この時間には少し忘れられるような気がする。

 そこそこ大きな霊園のそばにある坂道に差し掛かると、急に誤ってボリュームノブを回してしまったみたいに大きな、無数のセミの声が聞こえてきた。ミンミンゼミだったか、アブラゼミだったか、暗闇の向こうでしきりに鳴いている。

 自分は生まれ変わったら何ゼミになるんだろうか?と考える。セミの種類ってあんまり知らないな。ミンミンゼミかアブラゼミか、ヒグラシか。ツクツクボウシっていうのもいたな。

 いや、そもそも生まれ変わりの選択肢をセミに限定する必要はない。もうちょっと広めの選択肢の中で悩ませて欲しい。そこまで卑下しなくても良さそうなものである。というかこうやって何気なく“生まれ変わったら”を仮定してしまうのって、自分も文化圏の中で生きているんだなと実感する。もしかしたら単に骨かもしれない。

 ふとパンクしたまま自宅に放置している自転車のことを思い出す。もうひと月くらい経ってしまったか。早くチューブ交換しないとなぁ。あんまり慣れてないから億劫だ。いつやろうかな。

 もうそろそろ目的地にも到着しようという頃、大学生くらいの2人組とすれ違った。そのうちのマッシュボブくらいの長さの黒髪に、オーバーサイズの黒いシャツを着てサンダルを履いた1人が、しきりに“イケガミさん”の悪口を言っていた。僕はこの街に住むらしい1人の“イケガミさん”のことを想像して、少し不憫に思う。あるいはとても意地悪な人なのだろうか。そんなこと、知りようもないことだけれど。

 返却手続きを済ませると利用終了の通知がきて、スマホの画面に利用金額が表示される。やっぱり電車の方が少し安かったかなぁと思いながら、それをポケットにしまった。

 コンビニに立ち寄ってパピコを買い、片方を捻って開ける。もう一つは取っておいて、今度食べようと思う。

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