化学での躓きを省みる
わたしは、化学で躓いたクチの人間である。
たしか、共通テストでは化学の点数は、決して良いと言えるものではなかった。そんな闇のような過去を捨てたくて、なんとなくシュレッダーにかけてしまったその記録を、今では残しておけばよかったと後悔しているが、やはり、それは先には立ってくれない。
閑話休題。
しがない片田舎の医療系大学生をやっている身としては、お恥ずかしい話だ。化学をうまく理解もできていないやつが、どうやってお薬の効き方を説明するのだろうか、と思う人もいるかもしれない。わたしも聞いてみたい。化学をうまく理解しないで、どうやってお薬の説明をするのか、と。
さすがに反省して、わたしは、どうして自分が化学を難く思うようになったのか考えてみることにした。
そこで気が付いたのは、指示薬を入れていない溶媒に、溶質を加えたときに色が変化する仕組みを理解することが出来なかった点で訳が分からなくなってしまったということだった。
これは、至極簡単な話で、溶媒に溶質を加えることで、溶液の構造が変化するためである、というのがカラクリなのだ。しかし、わたしは、それだけではうまく理解することが出来なかった。なぜなら、決定的に必要なもう一つのピースが欠けていたからである。
そのピースというのは、人間に色が見える仕組みのことだ。わたしがこのピースに気が付いた時、わたしはすでに大学生であった。
人間が色を認識することが出来るのは、構造に反射した光の長さが違うからである。これは、周知の事実だ。
もちろん、わたしも、事実として、人が見える色には光が関連していることを知っていた。しかし、その事実と、指示薬のない溶媒に溶質を加えたときに色が変化するという事実につなげることはできなかった。そのために、わたしは、自分自身の「何故」という疑問に終止符を打てずにいたのである。
つまり、私が知りたかったのは、物質の色が変わる仕組みには、物質の構造の変化が、構造に反射する光の反射の長さを変えてしまうからである、という2つの事象をつなげた説明だったわけである。
確かわたしは、当時、「なんでこの色に変わるのか分からない」というように発言していたように思う。そんな発言をすると、たいてい、周囲は笑って、「覚えるんだよ」と言って来るのだった。当時は、「そんなこと言われても分からないものは覚えられないよ」と思っていた。しかし、確かに、カラクリを理解した今では、わたしも分かる。それは、何故その色に変化するのかなんて、覚えるしかないのだ、ということを。