扇町ミュージアムキューブ、扇町ミュージアムスクエアからの観客の帰路に関する一考察

【背景】
2023年10月、大阪の文化・コミュニティを創造・発信する新しい拠点として「扇町ミュージアムキューブ(以後OMC)」がオープンした。扇町と言えば1985年~2003年に小劇場(演劇用)、ミニシアター(映画用)、ギャラリー、雑貨店、カフェなどを併設する「扇町ミュージアムスクエア(以後OMS)」が関西の若者文化の一つの中心地となりサブカルチャーの聖地としての役割を果たしていた。中でも当時小劇場ブームの真っただ中にあった演劇においては関西のメッカとなりその後大きな活躍をあげる数々の劇団を輩出し続けた。

OMCの開設にはOMSの成果を継承し再びその盛り上がりを扇町で引き起こす期待もかかっている。一方でこの20年ほどの間に世の中の経済状況や大阪の都市環境には大きな変化があった。また若者のライフスタイルや演劇に求められる嗜好性も多様なな変貌を遂げている。そのためOMCの運営や各カンパニーのその利用においてはそのような動向を踏まえた戦略が必要だろうと考えられる。

社会的には小劇場ブームはバブル景気の波と重なっており、小劇場ブームを支えた人々はその経済の中心人物ではなかったかもしれないが少なからずその影響を受けていたとは言えるだろう。扇町という立地はいわゆる梅田駅・大阪駅を中心とした「大阪キタ」と呼ばれるエリアから東側に少し外れた場所にある。OMSの時代にはその少し歩かせる感じがかえって熱心なファンへのモチベーションとなっていたとも思われるが、そこへの観客の動員についてはやはりなにがしかの工夫は必要であろう。最寄り駅は扇町駅・天満駅になるが、かつては終演後にはほとんどの観客が歩く距離の長い梅田・大阪方面を目指して歩いて行き、途中の阪急東通り商店街辺りで寄り道をして食事をして帰るのが定番のコースだった。ちなみにこの時代はオヤジギャルと呼ばれる女性のライフスタイルが流行した時期でもあったし、吟醸酒が注目された最初の日本酒ブームにも重なっている。

しかし小劇場ブームが下火になって以降、静かな演劇の隆盛、観客の単独化、若者の経済力の低下などの理由が絡んで観客が終演後に飲みに行くような姿は現代では少なくなっている。近年はそこにコロナ禍の影響も加わった。また施設の東側に目を向けると、扇町駅を通る堺筋線はOsaka Metroでは最短の路線だがこの20年間に乗り継ぎができる路線が増えたことや私鉄の乗り入れが増加したことに利便性が向上し沿線の人口も増加傾向にある。またそれと並行して通る天神橋筋商店街は日本一の長さを誇る商店街で本来は食品や日用品を求めて中年層以上の年代の人々の往来が多かった街だが社会の変容に伴い近年では若者の姿も多く見かけるようになった。

加えてOMCの立地はOMSと比較して約200m東側に移動していて扇町駅・天満駅に近くなっている。現代では多くの人がA.I.を駆使したインターネットの交通案内を利用して目的に向かうようになっていて、それによって無意識の内に単純に時間効率の良いルートを選んで目的地に向かうようになっていることも考えられる。

【目的】
OMC、OMSからの観客の帰り道について調べることにより関西の社会変化や演劇の観客動態について類推する。

【仮説】
OMSの観客(1985年~2003年)は主に梅田駅・大阪駅から帰っていたが、OMCの観客(2023年~)ではそれと比較して扇町駅・天満駅から帰る観客が増加している。

【方法】
SNS(X)を使用したアンケート法。
質問内容はOMC、OMSに行った際の帰り道を「扇町・天満方面」、「梅田・大阪方面」、「その他」の3方向から選択してもらう質問2問。

帰り道について聞いたのは、行きと帰りでは観客の自宅・職場や寄り道の影響で回答が異なる可能性があり、特に寄り道の影響について重点をおいて調査をするためである。

【結果】
OMCからの帰り道についての質問回答数:205名
OMSからの帰り道についての質問回答数:51名

OMCからの帰り道
扇町・天満方面:114名 (55.6%)
梅田・大阪方面:83名 (40.5%)
その他:8名 (3.9 %)

OMSからの帰り道
扇町・天満方面:14名 (27.5%)
梅田・大阪方面:35名 (68.6%)
その他:2名 (3.9%)

梅田・大阪駅方面から帰る観客はOMSの約7割からOMCでは約4割に低下している。またOMCにおいては元々少数派だった扇町・天満方面から帰る観客が5割強に増加しており帰り道の主方向は逆転している。

【考察】
OMCの開設によりOMS閉館以降の大阪を中心とした関西の舞台観客の分布や動向が大きく変化していることのわかる結果が得られた。凡そ仮説通りの証明ができたことにより、あらためてかつてのOMSの功績には当時の社会状況やメインターゲットだった若者世代の置かれていた状況やそれによってできあがったライフスタイルが影響していたことも推測できる。

今再び扇町にOMCという場所としての舞台芸術の拠点が生まれたことは大変喜ばしいことであるが、もちろん場所ができただけではOMS同様あるいはそれ以上の成果にはつながらないであろう。またそのための戦略においても現代の演劇のあり方を鑑みるとOMSと同じ手法ではアンマッチになることが多いことも容易に推測できる。

調査の前に想定していた背景に加えて、京阪神エリアの小劇場演劇の上演状況を見てみると、大阪府北部~京都方面では減少傾向にありながらもなんとか維持している状況と比較して兵庫県南部での減少はより著しい。観客もそれに連動して梅田・大阪方面から伊丹・宝塚・神戸方面に帰る観客が減少しており、京都方面への連絡の良い路線が多く利用される傾向にあることが考えられる。

概して見ると、かつて関西の演劇は古典芸能の流れの影響も受けながら阪神エリアを中心とした発展を遂げ、それとは別の系譜で京都エリアの演劇が育まれて来た。それが現代ではそれらは融合しつつあり、大阪と京都を結ぶエリアがその中心となっている。鉄道で言えばJR京都線、阪急京都線、京阪本線が走るエリアであって興業のターゲットとしてもそのエリアに軸を据えた考え方が必要であろう。そういう意味ではOMCの立地はOMSとは別の現代的な意味で的を得た好立地であり関西の舞台芸術界全体のためにも担うべき役割は大きいと言えるだろう。

【謝辞】
最後になりましたが本調査にご協力いただいた皆様に心よりお礼申し上げます。継続した検討により舞台芸術の活性化の一助になればと願っております。

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