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覚えられるものと覚えられないものの話 その2

地図や空間に対しては記憶力がニワトリ並みになる私だが、覚えるのが得意なものもある。代表的なのは「人の名前」だ。特に字面、漢字を覚えるのは結構得意だと思う。仮に仕事の場合、もちろん苗字は口頭でも文字でも触れる機会があるため比較的耳でも記憶に残りやすいが、下の名前、の漢字表記まで意識して覚えようという人はどれほどいるのだろうか。

私の場合はその人とのリアルな関わりの濃さとは関係なく、何回かフルネームを目にすることがあれば自然と覚えていることが多いように思う。仕事なら、話す機会はないけれど、いつも配信されるメールの宛先に入っている人、回覧物の証跡として押された印鑑など(印鑑でフルネームはあまり見かけないけれど、苗字を覚えるのには十分)でいつの間にか覚えていることが多い。

小学生の頃、1学年4クラスある学校に通っていたが、一度も同じクラスになったこともない他クラスの生徒含めて、学年全員の名前を覚えていた。1クラス30〜35人くらいだったから、全クラス合わせて120〜140人。学校は作文やら書道やらいつも何かしら廊下の壁に貼り出されているので、前を通るたびになんとなく眺めていたら頭に入っていた。覚えたことによる恩恵を受けた記憶はないけれど。

ちなみに、何をトリガーとして記憶するかというのは人によって異なるようで、聴覚優位とか視覚優位とか言語優位などがあるらしい。(この辺り、深く学んでみたい分野)下記サイトでざっと診断してみたところ、私は視覚と言語が多かった。これは納得の結果。


あとは、自分の旧姓が割と読み間違えられやすかったことも少なからず関係していると思う。本名ではないのだが、間違えやすさのイメージとしては、「東」と書いて「あずま」なのか「ひがし」なのか、みたいな。ある程度大人になってからはいちいち訂正するのも面倒で、間違えられてもそのまま返事していたけど。

間違えられることが多かったからこそ、自分は人の名前をできるだけ間違えないようにしたいという潜在意識はあるかもしれない。名前を正しく書いたり呼んだりすることは、その人に敬意を払うことに通じると私は思っている。初対面の人ならまだしも、同じコミュニティの人間であれば、いくらでも調べようがあるはずだ。

そういえば今日、このままだと500年後には日本人は全員「佐藤さん」になるというニュースを見かけた。そんな世界も見てみたい気はするが、珍しい苗字・難読苗字が好きな私としては、ちょっと味気ないと感じてしまう。


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