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「優しいひと」を卒業します。

たった今、やっと腹落ちした自分の性格への気付きを忘れないうちに残しておきたいので書いておく。

支離滅裂かもしれないので、興味がない人はそっとブラウザを閉じて欲しい。

まずはじめに

自分を理解することは、自分ひとりでは出来なくて。
必ず気付きには、ヒントをくれる人がいたり、出来事があるはず。

多くの場合、自らを映し出す鏡となるその人と出来事は共に訪れる。

3年ほど前に、活動の軸となる直感で信じた考え方に出会って以来、わたし自身はだいぶ生きやすさを感じているし価値観も良い方向へ変わってきたと感じていて。なんなら内面的には、人生が180度変わったと思える程だ。

だけど、どうやらまだまだ沼の中に思考は埋まっていた様に思う。
今回こうして自分の想いが浮き彫りになってくるきっかけをくれたのも、周囲で鼓舞してくれる人がいたからだし、本当に感謝している。

優しさの方向

ところで、ちょっと遠くからみたら、わたしは順風満帆に見えるらしい。
幾度となく壁に当たり、越えたと思ったら茨の道。
そんな風にポロッと喋ると、とても意外だといった顔をする人がとても多い。

もちろん、それは喜ばしいことだとも思う。「順風満帆」を捉える視点によっては、わたしの人生は間違いなく順風満帆だ。
そう気付かせてくれたのも、紛れもなく周りの人のおかげなんだけれど。

ただ、わたしの中にはいつもどこか焦燥感があって、なにかに怯えていて。
その理由のひとつには、わたしが極度の完璧主義者で臆病者だという点が挙げられる。上記の理由により、自分を褒めるということに関するハードルがものすごく高い。

そしてとにかく傷付くのが怖い。
人に悪口を言われたり、後ろ指を指されることや考えを否定されることに対して異常なまでに拒否反応を示す。

こんな性格も、3年前に比べたらだいぶ可愛くなってきたと思っていた。

だけどどうだろう?
いざ自分を疑ってみたら、結局今までの言動はこの気持ちから起こっていたのではないかと思い始めた。

優しいと思われたかった卑怯な自分がそこにはいて。
いつのまにか、「優しいと思ってくれる人が大事」になっていたのではないか。

理想を追う為に今を知る。

ひとりの人間としてどう在りたいか。そんな理想がわたしにはある。

その為に努力し続けることを選んでいるのだけれど、きっとその方向を調整する必要がある。そう思った。

わたしが人生の中で「両思い」になりたい人は、決してわたしを「優しい」から好きだと思っている人ではないという事にも気がついた。

そしたら、今日から何を変えていこうかが明確になった気がして。

今までは「相手が聞きたそうな言葉」を伝えていた。なんだかオブラートに包みすぎて伝わり方が歪んだりした。

この事実が認識できてからは、必要に応じて「相手が耳を塞いでいたいであろうこと」も伝えようと決めた。

なぜならわたし自身が、厳しくも愛のある言動に触れて変わるチャンスをもらったから。


とは言え、わたしは人に優しくするのが大好きだし、優しくしてもらったときの嬉しさはよくわかる。

だからこそ、どんな優しさを、誰に、どう伝えていくのか。
それが決して「自分への優しさ」にならない様にするにはどうしたらいいのか?

今はただ、これまでの自分の言動を変えていくことが必要なんだと感じている。
自分でコントロールできるのは、自分の言動なのだから。

怯えながら優しさを撒くのはやめようと思う。
わたしは今日、「優しいひと」を卒業する。

2019.12
2020.01追記

支えられて生きています。いつもありがとうございます。