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思わぬきっかけで思い出すこと

 一体、頭のなかの、どこに閉まわれていたんですか。
 そう聞きたくなるほど、ふっと突然、脈絡なく昔の記憶を思い出すことがある。そんな話。

 小さい頃からの癖で、よく寝る前に、自分が好きな物語の世界に入れたらどうするだろう、あのキャラクターとどう会話をするだろう、といった妄想をする。
 キッズが頭のなかで、戦隊ヒーローやヒロインになりきるのと一緒。大抵は気軽で、原作の好きな場面にお邪魔して、キャラクターとの交流を楽しむ。ときどきツボにはまると、細かい背景を考えたり、キャラの思考様式について真剣に推察したり。ときには毎夜に渡る長編になることも。
 お布団のなかで、自分は何者にでもなれる。寝転がった身体から、気持ちが幽体離脱さながらに飛び出す。自由に足を動かして、走る、浮く、飛ぶ。手を使うのは、変身するときや戦うとき。モンスターボールなんかは、昔から握り慣れているので扱いも上手。

 さて、昨日の冒険で、私は学生になっていた。進路に迷う1年生。私は優しい数学の先生に、将来の相談をする。数学の先生を選んだ理由は、学生の時の一番の得意科目だったから。妄想だけど、リアリティも大事。
 先生、私、やりたいことが分からないんです。頭で生み出されたイマジナリー先生は、優しく返してくれる。「そうね……貴方はいつも、教える前に自分で公式や計算方法を見つけ出す人よね。」わあ、先生よく見てますね、そういうの、得意です……あれ?

 忘れていた過去を、久しぶりに思い出した。思えば私は、イマジナリー先生のいう通りの中学生だった。
 数学の授業ではいつも、先生の説明の3ページ先を勝手に読んでいた。近道の計算方法を見つけ出したり、ぽんと与えられた無機質な公式の意味を考えて、自分なりに証明したりするのが好きだった。
 「自分で見つけた」というところに誇りのような快感を覚えていたので、後々の授業で先生が「実はこういうやり方があるんです」と教えた内容が私の先走りと被っていた日には、「私、もうそれ知ってるよ」「みんなに教えちゃうの、もったいない!」と悔しがっていた。
 よくよく考えると、前回の記事で綴った「自己啓発本の内容、自分でたどりつかなきゃ意味なくないか?」という持論と色々そっくりである。自分って昔から変わってないんだな。

 そんな昔の忘れていた記憶。不思議なことに、自分のなかで生まれた人との対話で、久しぶりに思い出した。何かのきっかけで、本当によくわからないきっかけで、出てくることもあるもんだなあ。

 記憶という言葉はよく、水と結び付けられる。『ショーシャンクの空に』の「メキシコの海は記憶を持たない」という台詞が、印象的。『FrozenⅡ』では劇中歌に、“There’s a river full of memory”という歌詞がある。物語の核心に迫る表現でもある。
 今回思い出した記憶は、静かで誰も訪れないような地底湖の、更に底に流れる水。お布団のなかで地上を冒険していたつもりが、水潜っていたようだ。

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