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「繊細な人間でいてくれてありがとう」

 もしも私がそう言われたら。きっと琴線が震えて、胸がいっぱいになる。その言葉をプレゼントしてくれた人を心から愛しく思い、何が解決されなくても、前を向けて、満たされた気分になるだろう。

 2020年の秋に、『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は日本にやってきて、いくつかの映画館で公開された。小さい頃に過ごした愛する思い出の家を、取り戻そうとする物語である。
 映画が作られた本国では2019年初夏に封切りされ、想像以上の関心が寄せられた結果、映画祭でのノミネートや受賞も多くあったようだ。

 ところで、日本で公開する時には、アメリカでの公開時と世界の状況がひどく違っていた。シネコンの小さめのシアターで、それでも私と他に数人しかいないような静かな空間で、息をひそめてこの映画を鑑賞したのを覚えている。

 コロナ禍による甚大な影響や、そのなかで公開された『鬼滅の刃』の大ヒット・大混雑など、2020年の映画館事情は今でも要約しがたい。
 自分と映画館との縁は浅からず、学生時代にアルバイトとして数年間勤務した。カウンターで老若男女にチケットを売り、清掃でフロアを走り回った。コロナ禍の影響で勤める劇場が営業停止になったのは、研修の親として後輩を指導するまでになった頃だった。

 数か月、それまで週の半分通っていた劇場に入れなくなった。再開しても、販売座席も劇場スタッフも通常の半分での体制だった。フロアで流れる音楽や清掃待機のエンドロールが、いつもより大きく聞こえた。広い映画館のなかで、スタッフも来場者もそれぞれが孤独を抱えていたような時期だった。

 『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』は、そんな気持ちの揺らぎと共鳴し、全身を包み込んでくれるような映画だった。再開発で塗りかえられていく街のなかで、失いたくないモノに全身全霊でしがみついていく主人公。思い出への深い愛情と、それを失う悲痛な叫びが、静かに画面に溢れていた。

 冒頭に記した言葉は、実は映画内の台詞ではなく、本作のプレミア上映に訪れた一般の方の言葉である。原案と主演を務めたジミー・フェイルズは、プレミア上映の際に下記のような体験をしたことを記している。

 ある年配の女性が泣きながら、作品がいかに美しかったかを語ってくれたんだ。泣きすぎて、写真も撮れないくらいで、僕ももらい泣きしてしまった。「繊細な人間でいてくれてありがとう」と多くの人に言われた。それ以上の褒め言葉はないよね。そういう言葉を聞きたいから、僕たちアーティストは自らを犠牲にするんだ。

"INTERVIEW WITH JIMMIE FAILS" 映画公式HPより

 「繊細な人間でいてくれてありがとう」。この言葉を眼でなぞった瞬間、まるでドンッと心臓を叩かれたようだった。繊細であることが足かせになってしまうような今の世の中に、この言葉は温かすぎると思った。

 一方で、この作品に贈る言葉として、これほど過不足のない言葉もないだろう。気になった方はぜひ作品をご覧ください。

 映画を見たときは学生だった自分も、今では会社員になった。マスクを外して大きく息を吸えるようになり、色んな人と出会うようになった。あの頃の寂しい世界の空気は、私の周りからはすっかり鳴りを潜めた。
 折に触れて思い出す、「繊細な人間でいてくれてありがとう」。この言葉を他人にプレゼントできる、そんな人にいつかなりたい。今でもそう、思い続けている。

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