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決めつけという暴力

へーんなの〜〜。
私は、『彼が向けられた悪意に対して闘った』記事を上げたんだけど、あるお方がそこから起草して、『自分の武勇伝を語る暴力男性』を論じて、私の彼がそこに同列に並べられていたことに、「えぇ〜なにそれ」と感じました。


私の彼は、闘ったことを自慢したりしなかったし、(文中でも記した通り、彼は「やっちゃった…」と反省していたのです)、私が文末に「棒や刃物を使わず拳一本でぶちのめした彼、良いぞ!」と結んだのは、彼が一番真っ当な闘い方をしたからです。
喧嘩の世界のなかでは、ルールなんて無い。
なんでもありです。
そのなかで、彼は武器も使わず、自分の力だけで闘った。そして勝った。
それだけです。


たぶん、『暴力』と評したそのお方は、闘った経験がないんだろうな、おそらく、と思いました。
たぶん、喧嘩もしたことないんだろうな。
だから、なんでも一緒くたに、『暴力』に分類してしまう。見えてない世界があるのです。


ある意味、その方の記事自体が、私や彼に対する『暴力』でした。言葉の暴力。表現の自由という名の暴力。決めつける『暴力』。


どうしても書きたいなら、フィクションを立ち上げて『暴力主人公』を創り、好きなだけ蔑んで、貶めれば良かったんじゃないかな。
それくらいの構成力はお持ちの方なので。


「不快に思うかもしれないから読まないでください」って、私が目にさえしなければ、良いってこと??
自分の主観のなかで好きなだけ主張して、なんか『正義』振りかざして、勝手にひとに『暴力』のレッテル貼って。

あなたの主張自体は、いいんじゃないかなと思います。好きにドン引きして、暴力反対を謳っていてください。

でも、私の彼を知りもしないのに、彼から直接話を聞いたわけでもないのに、『暴力』と決めつけて、『本物』の暴力男性と同列に評したのには、違和感を感じています。

別に謝罪も訂正もしなくて良いけど、あなたは、『間違えた』。それを理解してほしいな、と思います。
書き方を間違えたし、よく知りもしない私の彼を暴力男と断じたのも間違ってるし、そもそも喧嘩と暴力の区別も付いていない。


そんなに、ひとの彼のこと貶められるほど、エライんですか〜?
立派に生きてきたんですか??
私の彼の、何を知ってるんですか???


感じたことを、書かせてもらいました。
いつも拝見していて、noteでは身近に感じていた方なだけに、とても残念で、がっかりでした。

『不快に思うかもしれないから読まないで』とことわれば、何書いてもいいんですか?
そんなはずないですよね?
私の存じ上げている貴方は、もっと思い遣りがある方です。

私は不快なのではありません。
傷ついたのです。
傷つけた、ということを、知ってください。


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