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指輪を失くした

物を失くさない私が、右のピンキーリングを失くしました。
ウォーキングから帰ってきて、シャワー浴びる前に指輪外してて、あれ?ピンキーない。

どこで落としたのか見当もつかない。
一応、バッグの中身も全部出して、着替えた服もひっくり返して、ベッドの下まで確認してみたけど、ない。

歩いている途中は、考えにくい。
何故なら、右の薬指にも私は指輪をしてて、ピンキーはその薬指の指輪によって奥に留まるようになっていたから。
それに、落としたら、微かにでも金属音が響く。
私はそれを聞き逃さない。

なんだろう、でも、喪失感がないんですよね。
また見つかる⋯?
分からない。

早くも新しいリングを調べる。
良いデザインで安いのが見つかった。
これを買うかは明日、買い物したお店を廻って、「指輪落ちてませんでしたか?」って聞いてからになると思う。

私はずっとジュエリーの販売をしてきたから、ジュエリーがとても身近で、魂を分け与えているような感覚があります。
失くなったことに対して、もっと深い悲しみがあってもいいはずなんだけど、今日は「そういう時期が来たんだ」みたいな気持ちの方が大きくて。

パワーストーンとかもそうなんですけど、大切にしていた物が、例えばブレスレットだったら切れるとか、失くしてしまうときってあるんですけど、そんなときって、持ち主のことを護ってる場合が多いんですよね。
持ち主のために、自分が体を張るというか、庇うというか、身代わりになるというか、そういう健気なことをしてくれちゃうのです。

私にとって大切な存在だった指輪が音もなく居なくなる、私を護ってくれている。そんな献身的な働きが、私に喪失感よりも大きな、深い感謝を齎してくれています。


でも、出てこれるなら、出てきてほしい。

親しい友人が、急に遠くに行ってしまったような、不思議なお別れの気持ちもあります。
今までありがとうね、っていう想いと、再会を願う気持ち。


とりあえず、明日、指輪探して、見つからなかったら、新しい子をお迎えしよう。
なんだかよく分からないけど、新しい子がすんなり目星がついて、うちに来る予定になってるっぽいところが、これも縁というものなのかもしれません。


念の為、トイレに行って便器に手を突っ込んで、探ってみましたが、なかった。
音もなく落ちてると考えたとき、一番の候補がトイレだったんですけど(私トイレ掃除素手でやってるので)、違ったか⋯。


翌日です。
指輪はどこにも拾われていませんでした。
新しい子をお迎えすることに決めました。
右の薬指とピンキーの2本。同じデザインのサイズ違いを注文しようと思っています。

指輪買うの何年ぶりだろう。
新しい子をお迎えするのは、新しい世界が広がることを意味しています。
今、そこに足を踏み出して、入っていくところ。
どんな景色が見えるかな。
楽しみに待ちます。


追記
選挙行ってきました。
ウォーキングの途中で立ち寄った形になったのですが、今回は会場2Fです、とのご案内。
投票済ませて、出張所を出ると、若い女の子が「見つけた!」という感じで駆け寄ってきて、
「朝日新聞の〇〇と申します」と話しかけられました。
ああ、出口調査、こんなところでもやるんだ⋯って思いつつ「こんにちは」って挨拶して、その女の子のお顔を見たら、水原希子ちゃんにそっくりの超美人さん。
調査については「あ、ごめんなさい」と言ってお断りしたのだけど、いや〜、キミ、なんで新聞社なんて入っちゃったの??と思いながら帰ってきました。
もったいないわ〜。身長私くらいだから、モデルさんは無理だろうけど、充分芸能界で道が拓ける才がお顔から溢れてましたよ。
ひとの道っていうのは、様々なのだなぁと思い、彼女の幸せをご祈念致しました。


読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。


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