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クジラの声

むかし、たぶんもう20年くらい前かな、夜、寝るときにクジラの鳴き声を聴いていた時期がありました。
YouTubeで見つけてね、聴いてたんですけど、なんでクジラの声に行き着いたのか、今考えても全然理由がわからないのです。

ひとつ言えるのは、その頃の私はまだ弱くて、ハートもボロボロで、自分を守ることで精一杯だった、ということ。
平たく言うと、病んでたのかもしれない。
精神的にね、心のどこかがね。
よくそれであんなきつい仕事こなしてたよね、自分のことながらびっくりです。
うん、ガードも半端ないくらいに固かった。
全て拒んでた。
あれじゃ良いものも入って来れなかったよね。
ガードしていたけど、同時に目一杯、天に手を伸ばしてた。救いを求めてたのかもしれないし、何かを掴みたかったのかもしれない。

不思議なもので、過ぎ去ってしまうと、忘れてしまった。

私はどう乗り越えたんだろう。

気がつくと、優しいひとたちに囲まれていて、優しい彼がいて、私は温かくて護られていた。
何も怖くない。
開いている。
そして満ちている。


よく、落ちた後は上がるって言うけど、上がったら落ちるとかもね、言うけど、私、大丈夫。
もう落ちることはない。
私は、大きな流れに乗ったんだと思う。
ひとの身に生まれたから、これからだっていろいろなことは起きると思うし、それに伴う感情だって湧いてくるんだろうね。
だけど、私は大丈夫だ。
根拠がないけど、そう感じる。


今日、とあるSNSで、クジラの声を聴いて、ふわ~んと過去が浮かんで、昇華して行った。


あの頃があったから今がある、なんて言うのは簡単なこと。
私は子どもの頃から根性なんて無かったし、何かをバネにして伸びてきたところなんて無いし、正直、ただ年月を重ねてきただけ。


それでも、私はひとつの境地には辿り着けたし、この道は間違ってないと思える。
少なくとも、あの頃成りたかった自分には成れている。
これは勝敗じゃないし、上下もない。
そもそも人生に勝敗も上下もない。


クジラの声を聴きながら、思う。

私は導かれたんだ。

運が良かった。

いろんな間違いも犯したし、傷ついたり傷つけたりもした。
それが、私の通るべき道だったんだろう。
それ以上でも以下でもない。


クジラの声を聴く。
優しい、遠く遠く響いてくる声音。

羊水のなかで、私はこれを聴いていたのかもしれない。

胎児のように身を丸くして、揺蕩う。


いつかまた、この声に護られて、私は産まれてくるのかもしれない。


読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。


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