死ぬっていうことと、生きてるってこと
もう30年くらい前のことだけど、おばあちゃんが亡くなりました。
仕事が終わってから、おばあちゃん家に行って、亡骸と対面しました。
おばあちゃんの頬に触れてみました。
冷たかった。
あれは冬だったのかな、思い出せないんだけど、おばあちゃんは氷よりも、他のどんなものよりも、冷たかった。
それまでも、そして今でも、あんな冷たいものに触れたことがありません。
死ぬって、冷たくなることなんだな、そう思いました。どれくらいの時間をかけて、おばあちゃんから温もりは去り、冷たくなっていったんだろう。
心臓が止まってから?
脳が停止してから?
細胞が活動をやめてから?
専門的なことは、医学的なことは、私には分からなくて。
長いこと触れていても、私の体温は、おばあちゃんには伝わりませんでした。
おばあちゃんは、ずっと、ただ、冷たかった。
そもそも、遺体に触れたりしないものなのかもしれないけど、私は、あの冷たさを知って、よかったと思っています。
ひとは、冷たくなったら、戻ってこないんだ。
私は、生きている。
まだ、温かい。
まだ温かいうちに、できる限りのことを。
生かされている、この生のなかで。
考えている。
書いている。
創り出している。
もっとたくさんのひとに、会いに行こう。
もっといろんなところに、行ってみよう。
まだ知らない世界へ、踏み出してみよう。
ずいぶん長いこと、お墓参りとか行ってなくて。
少し、申し訳なさも、あるんだ。
でも、たぶん、私が力いっぱい生き抜くことが、おばあちゃんへの孝行かな、と思っていて。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。