舞台感想:モリミュ5(憂国のモリアーティ)


 『憂国のモリアーティー』、実はミュージカルで初めて知った作品です。よく観劇に付き合ってくれる友人から、知ってる俳優さんが出るよーと誘われたのがきっかけで、あえてミュージカルから入ってみようと原作読まずに1を観に行きました。
そして、バイオリンとピアノの生演奏に乗せた歌や話の面白さにすっかり魅了されてしまい、2以降もほぼすべて劇場に足を運んだので5を観終わった時は…感無量。ちょうどお話が一区切りしたようですので、シリーズ通して観た主役二人の印象について、自分なりの感想を綴ります。
 ※この時点で、ミュージカルだけ観た者の感想としてご承知おきください。いずれ原作も読む予定です。

 主人公の二人、ウィリアムとシャーロック。天才的な頭脳とセンスを持ち、それぞれのチームの中心にいるふたり。
チームという集合体で見ると、当初は血よりも濃い絆で結ばれた完璧なモリアーティチームと、バラバラなんだけど最後はうまくいく凸凹なホームズチーム、という印象でした。

 モリアーティ側はウィリアムのプランに共感し、絶対の忠誠を誓っている…組織としての完成度が非常に高いチームです。チームを一人の人間に喩えるならウィリアムは脳で、ルイスたちはその指示によって動く手足でしょうか。モラン大佐が特に顕著ですね。
もちろん彼らは個々の人間ですので、それぞれがウィリアムを想っています。しかし、ウィリアムの崇高な目的を果たすことこそが彼らの存在意義でもあり、一心同体のような側面があるから面と向かって止めることができない。

 かたやホームズチームはいつもバラバラ。そもそもシャーロックが自分勝手で孤立しがちな人ですし。それでも、ジョンと事件の謎を解いていくことでシャーロックは周囲から慕われるようになり、人への接し方も不器用だったのが優しさを見せるようになります。組織の結束力はないけれど、ハドソンさんやレストレード警部などの信頼から不思議なチームワークが出来上がっていきます。
 謎解きはモリアーティプランあってこそなんですが、ここで重要なのはやはりジョンの存在でしょう。
ジョンはこの話において【普通の人】です。シャーロックのように常人を超越した思考回路の持ち主ではないので、同じ目線で物事を見ることはできない。けれど、ジョンは自分の意見を真正面からぶつけることができる。それは理屈や推理といったものを飛び越えてシャーロックの心に強い影響を与えます。そんなジョンに、自分を大切にしてくれと諭されたからこそ、シャーロックはウィリアムのためにあの行動を起こせた訳ですし…。

 モリアーティとホームズ、どっちのチームがいいとかそういう話ではないのですが、シャーロックがジョンとの距離を縮めるほど、(直接影響を与える訳ではないのに)ウィリアムは孤独の影が濃くなっていく。その変化を、台詞や歌による独白以外にも、照明や高低差のある立ち位置、すれ違う目線など緻密に計算されているのが毎回見事で、引き込まれるように見ていました。

 では、チームから切り離して考えた時の二人の関係は?
原作…いえ、ここはジョンが書いたお話としましょう…でいうなら【宿敵】という関係が一番当てはまりそうですが、ウィリアムとシャーロックの関係はもっと近しい気がする。Op.5を見たあとから悶々と考えていたのですが、たしかに宿敵ではあるものの、あの二人は仲が良すぎる…なんで仲良しになるのか?
それはお互い好ましい存在だと思ってるからで、なぜ好きかというと……やはり、

自分と同じ地平に立って、同じ景色を見て語り合える唯一無二の存在だからでしょうか。

彼らは長いこと同じ孤独の中にいて寂しかったのでしょう。だからこそ互いに惹かれ合ったわけですが、その親しさがまるで、ひとつの魂から分たれた二人が、奇跡的に出会ってしまったみたいに見えました。

 あと、これは本当に勝手なイメージなんですが、See-sawの『君は僕に似ている』という曲がこの二人の関係性に近いです。他作品の主題歌ですのでそちらのイメージはもちろんあるのですが、切ない曲調にのせた歌詞がOp.5のクライマックスとの親和性が高いので、ご興味ある方は是非聴いてみてください。


 さて、だいぶ好き勝手に書いて長くなりましたのでこのあたりで。
他にも語りたくなったら別記事で追加するかもしれません。

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