『日本映画を世界のミニシアターへ』プロジェクトを始めた関さんについて

(2022/11/25 いながき)
既報の通り、弊社、株式会社コギトワークスの代表である関友彦によるクラウドファンディングが始まりました。
皆様、どうぞ、お力添えのほど、よろしくお願いいたします。
お力添えといっても、なにもファンドのご支援とは限りません。なにより話題にしていただけること、それこそが我々の力になるので、どうぞよろしくお願いいたします。
 
突然ですが、私、いながきは、関さんと知り合い、かれこれ25年をすぎようとしています。
今回は、私から見た関さんのこと、そして、今回、このプロジェクトを準備していた、彼の様子を少し、お伝えしようかと思います。
 
私と彼が出会った場所は、イギリスでした。お互い留学生の身で、僕は二十歳になりたて、彼は二十二歳だったと思います。
その当時は、お互い、遠くない未来、映画の世界に身を置くなどとは、つゆほども思っていません。
大学付属の英語学校に入学した初日、私は少々緊張しながら、プレハブ建ての粗末な教室の二階へと上がっていくと、そこに若き日の関友彦君がいたのです。
キャップをかぶり、アウトドアジャケットを羽織った、異様に痩せたギラギラした我が物顔で教室の前に陣取っていた彼は、私を見ると、フライドチキンをむしゃむしゃほおばりながら、根掘り葉掘り、私のプロフィールについて尋ね始めました。
気弱なくせに、へんに物怖じしない私は、訥々と答えていたと思います。
やがて、彼は独特の笑顔を浮かべ、こう言いました。
「お前、俺の友達になれるわ」
今でも思うのですが、この一言が彼の気質のすべてを表わしているのです。
よくよくその字義をひもとけば、夜郎自大この上ないのに、妙に人なつっこく、言葉の意味を超えたえもいわれぬ説得力がありませんか?
 
さて、一気に飛び越えます。(ちなみに、今回のクラウドファンディングのリターンには、『壮行会参加』権と『祝賀会参加』権が設けられています。飛び越えた間の話が気になる方は、ぜひ、そちらにファンドしていただけると幸いです。
 
その後の私と彼は、日本に戻り、日本映画界に飛び込みます。
関さんは、映画の制作部として、バリバリと仕事をし、異例の早さで出世します。
なんと……、制作部を始めて、一年目にして、映画の制作担当を務めるのです。(制作担当は、会社で言えば、部長クラス!?)
そして、私も映画の世界に飛び込み、なんとか脚本の仕事を少しずつ任され始めたころ、二人は、会社を興すのです。
それが、今も続く『コギトワークス』です。
起業を画策していたころ、我々はまだ業界に入って10年未満。周囲に相談すると、よくこんな声をかけられたものです。
「会社ごっこしたいんだったらやめておけ、もっと力をつけてから会社を興すべきだ」
考えれば当たり前のことで、我々はひよっこ同然、会社を興したとて、それまでのフリーランス的なやり方は何も変わらないわけで、『会社ごっこ』と見られてもまったくおかしくありませんでした。
ただ、関さんにも、私にも、あるもくろみがありました。
「今は、会社ごっこでかまわない。今会社を興せば、十年後は十歳の会社になっている。その時に信用を得られるためには、今会社を興しておかねば」
 
こうして今、コギトワークスは、いよいよ来期で16期を迎えることになります。
当時もくろんだ『信用』は培えたのでしょうか。それはわかりませんが、明らかに、起業当初、お互いのギャラを会社の口座に入れるだけという状態とは、会社の在り方は圧倒的に変わりました。
 
そんなもくろみと同時に、起業当初、我々が未来に対して抱いていたことがあります。
それは、「ただ漫然と映画の仕事をしているだけではつまらない。十年後、自分たちが作りたいと思える映画を作ることができるようになりたい」という、切実な願いのようなものでした。
果たして、関さんは、そんな青臭い願いを、ずっと忘れずに持ち続け、数年前から、徐々に実現しようとしています。
 
今回、『日本映画を世界のミニシアターへ』という合い言葉で始めたプロジェクトは、十五年前「自分たちが作りたいと思える映画を作ることができるようになりたい」という願いの一歩先にあることかもしれません。
まだまだ、コギトワークスにおいて自分たちで映画を作るという環境がすべて整っているとは言いがたいのですが、先ほども申しました通り、それは本当に、いままさに日々実現されつつあるところです。そして、関さんは、それに飽き足らず、こんなことを考え始めたのだと思います。
『映画を作るだけでいいのか……?』
その問いは、企画立案から資金集め、さらには、映画を作った後、観客の皆様に届けるまでを自分たちで行えないかという予感に集約することになります。
 
関さんは、弊社で製作した『すずしい木陰』、『凪の海』という二本の映画を、結果的に配給することになりました。コロナ禍という、ミニシアターにとって非常に厳しい環境下で……。
その時、彼が感じたことは、自らの手で自分の子供同然の映画を、直接劇場に、ひいては観客の皆様に届けることは、映画にとってとても健全であるということだったのだと思います。
 
ただし、これは、少し生々しい話になると思いますが、、、日本国内のミニシアターに自作の映画を届けるだけでは、金銭的にも拡がり的にも、非常に厳しいものがあります。これは、やってみなければわからなかったことであるので、一つの成果と言ってもいいかと思うのですが、では、どうすればいいかと考えた時、拡がりを国外と思いつくことは自明のことかと思われます。
しかし、思いつくのは、おそらく、多くの方がされていることでしょう。思いつくと、実際にやってみるには、大きな隔たりありそうです。
 
実際に、大きな配給網を介さず、自分たちだけの手で、自分たちが生み出した映画を、海外で上映する道を拓くことは、どだい無理だと判断する人がほとんどでしょうし、はっきり言ってしまえば、業界内に軋轢を生む恐れもあるでしょう。
(しかし、現存の配給網で、このことを試みること自体、そもそも、構造的に、無理があるので、自分たちでやるか、それとも現状に甘んじるか、その二択しか残されないわけですが……)
 
結果的に、関さんは、「やってみる」ことに賭けました。
むろん、コギトワークスは小さな会社ですし、資金は潤沢にありません。日々の業務に取り組むことで会社を維持することが本来の在り方なのでしょう。
しかし、なんとか現状の硬直化した業界構造に蜂の一刺しをあたえられないか、そのおもいだけで始めたのでした。
たいへん嬉しいことに、現在コギトワークスには、たくさんの案件のお誘いがあり、日々は非常に忙しいです。
関さんも、業務Aをやりながら、業務Bをやりながら、業務Cをやりながらという毎日、ただ、本当にあのとき、周囲に反対されながらも起業して良かったなと思うことは、未熟ながら10年以上会社を維持する中で、社員が大きく育ってくれたことです。10年前、一介の制作部だった社員達も、今では立派なプロデューサー、彼らに仕事のほとんど任せることができます。彼らのバックアップに追われながら、関さんはちゃくちゃくと、今回のクラウドファンディングの準備を始めました。
 
着想自体は、実は去年の終わり頃でしたか。「実は、こんなこと考えてるんだけど」と私に相談してくれた時、直感的に、「できるか?」という不安と共に、「ぜひやるべきだ」とすぐに賛成したことを覚えています。
 
(この続きは、来週!)

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