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『箱男と、ベルリンへ行く。』(十二)

『2月17日、長い一日』(3)
 
長い一日を書くのも、これで三回目、早く長い一日を終えたいです。

現在、2月17日の午後4時過ぎ、再び戦闘服に着替えて、そろそろ宿を出発せねばならないところですが、私はまだ、サイレント・グリーンにあるカフェ「MARS」で茶をしばいています。(ちなみにここの店員さんは英語が通じました)
名残惜しいですが、席を立つ時間、再び朽ちた墓地を右手に、緑道を宿まで戻ります。行きはなんかこわいようなところだったのですが、不思議と帰りは、優雅な気持ち、墓地がオシャレだと感じたのはこれが初めて。
 

ベルリンの裏通りはこんな感じ。
グラフィティのない壁はありません。
東京のような潔癖さで埋め尽くされているより、いいネ!


今度はしっかりとスーツの上からダウンを羽織り、三峰さん、関さんと共に出発です。
(もちろん、関さんは上着ナシ。あくまで男らしい)
電車に乗って再びポツダム広場に近くの大本営××ホテルへ。

キまってるぜ。


一同、そろってまずはディナー。
一同というのは、我々コギトチーム三人、加えてファントム・フィルムの方々が数名、そして石井監督とキャストのお三方、総勢、15名以上になろうかというThis is 箱男チームです。
コーディネーターさんのご用意で、われわれは一路、レストランへ。と言って、どこのなんのレストランだかは定かではありません。
ベルリンの地理もなにも分からない私、徹底的にされるがまま連れて行かれるがまま、どうせ考えても詮無いことなので、もうなすがままにされております。
たどりついた場所は、シュプレー川沿い、Haus der Kultren der Welt、よく分かりませんが、とにかく『世界文化の家』ですね。


写真が下手ですが、まあ、こんなとこ。


アートセンターだそうです。その中にあるレストランWeltwirtschaft am HKW、世界、経済? Wirtschaftという言葉には、経済や仕事の他に宿やパブという意味もあるそう、ドイツ語やべえな。
とにかく、世界パブという名のレストランに落ち着きました。
天井からドでかいミラーボールがつり下げられ、乱射するその光が至る所からぶら下がったキッラキラのすだれにこれまた乱反射するまんま80年代ディスコのような店内です。

箱男と関さんとミラーボールの反射


雰囲気に呑まれ、ふと気付くと、もはやなに食べたか忘れました。忘れましたが、大概、芋と肉ですわ。

何食ったか忘れた。多分、芋と肉。


店内の中央にでーんと長机が鎮座、そこにチーム箱男が集結。その中には、石井監督に加え、キャストの皆様、永瀬さん、佐藤さん、浅野さんもご着席、隅っちょにちょこんとお味噌のようにくっついているだけの私ですが、もう店ん中はキラッキラだし、音楽も80年代ディスコだし、なんだか夢の中にいるみたいです。


なんか魚介のパスタかな、食べとりますわ。


 
ほんと、大げさに聞こえるかもしれませんけど、永瀬さん、浅野さんのお二人は、私にとって永遠のジャパニーズ・ムービーヒーローです。お二人の映画で育ったと言っても過言ではありません。いや、むしろ、お二人の出演する映画がなければ私は映画など志していなかったでしょう。いや、ほんと。
私の青春は、なんつったって90年代。90年代の幕開けとともに中坊になり、10年かけて、「映画、やってみよう」と決意するに至るわけですが、その10年間、ずっとお二人はカルチャーアイコン、私のヒーローであり続けました。
佐藤浩市さんに至っては、はっきり言ってもう雲の上の人。名だたる名匠とのお仕事を残されていますし、その出演作は枚挙に暇がないわけですが、私世代のど真ん中は、GONINですよね。クソほど何度も見直しました。
 
なんか、わけもなくいたたまれず、速攻でご飯を食べ尽くし、お外でタバコを吸います。
河畔の薄暗がりの向こうに見えるのはなんだか壮大な建物、連邦首相府だそうです。

真ん中の尖ってる向こうが連邦首相府。
日本で言うところの首相官邸ですね。


私がカメラを向けていると、通りかかったコーディネーターさんが、そこは写真を撮ってはだめなのだとか。なんか途端に秘密主義の東側諸国めいてきて、深く理由も聞かずに、それでもシャッターを押していました。なので、ここに載せる写真は貴重なものなはずです。
(しかし、写真を撮っても、その後、特段問題もなかったのですが、あれはなんだったのだろう・・・・・・)


んで、コレが対岸を撮った写真。


 
二時間たっぷりディナーに時間をかけた我々はそろそろご移動。ビールを飲みたかったのですが、その後のスケジュールを考えると、トイレが近くなってもいけませんし、がんばってがまん。お水で二時間粘りました。だいたい早飯早糞才能のうちと言われ育った世代なので、食べるのが早く、ヨーロッパ式長時間ディナーは、酒がないと途端に時間を持て余しがち、何度も、タバコで席を中座しながら、そろそろご移動、行儀悪かったですね。

一応、三峰さんも。
ご査収下さい。


 ホテルに戻って、キャストの方々はお支度、そして、その時間を利用して、監督はちょっとした取材。


コギトnote石井監督初登場。


私と関さんと三峰さんは、その後なにかの使い道があろうと、iPhoneと持参のカメラで撮影。そうそう、今回、関さんは、ベルリナーレのメイキングを自らすすんで担当なさっているのでした。関さんは、制作部としてこのお仕事を始められたわけですが、今では立派なプロデューサー、であるにも関わらず、というよりむしろ、であるからこそ、絵心あふれていまして、彼の撮る画はなかなかナイスなのです。

カメラマン関さん。


 
というわけで、17日もとっくにとっぷり日も暮れて、夜も21時を回りました。
起床後、(昼寝を挟んだとはいえ)すでに14時間以上、にも関わらずその日のメインイベントにまだ我々はたどり着けておりません。ホテルのロビーで、じっと、その時を待っている状態です。
どのような導線で、どこでどう振る舞い、どのように、イベントを終えるのか、いまもって私はよく分かっておりません。
なにか先行経験があれば、すこしは想像もできるのかもしれませんが、なにぶんすべてが初体験なので、これから起こることがどんなものか、うまく想起できません。
やがて、キャストの方々が一人、もう一人と、お支度を終えて階下へ降りてきます。チーム箱男再集結です。しかも、お一人お一人の衣裳、もうまばゆいばかり、翻って私の衣裳、やや普通、狙い通り、伊勢丹のコーディネーターさん、ありがとうございます。
気付くと、一人、ドイツ人の女性がチーム箱男に増えています。なんでも映画祭側から派遣された、その日のイベントのコーディネーターさん、彼女の案内でその後は進行していくそうです。日本語も堪能で、なんでも日本にいたことがあるそうなないそうな。
(すべては曖昧です。なんせ、ぼやっと待っていながらも、やっぱり周囲はせわしく、おちついて情報を交換するようなコミュニケーションは満足にはいきません)
 
キャストの方が勢揃いしたところで、再度、お取材と、ちょっとしたフォトセッション。この映像が、翌日の日本の朝の情報番組などでも見られたのだと思います。
私と言えば、周りをうろうろ、別に用もないけれど、あっちへ行ってみたり、こっちへ戻ってみたり、あんまり知り合いのいない打ち上げとか(だいたい脚本家は打ち上げに行くと、あんまり知り合いがいないもの)、友達に急遽つれて行かれたクラブとか、こんな感じになりがち、ともかく、ホテルのロビーでのタスクを終え、気付くと、表の車寄せには映画祭側が用意したお車が停まっております。環境に配慮した『Tesla』ですわ。
(ベルリン映画祭の車は、全てTeslaですわ。環境に配慮して)

コレが環境に配慮されたカメラマン関さん越しのTeslaだ!


で、急遽、なんとなく慌ただしい雰囲気に包まれ、私は、コーディネーターさんに案内されるがまま、Tesla壱号車に乗り込みます。壱号車には、監督、関さん、私、小西さん、それとドイツ人女性のコーディネーター。弐号車には、キャストの皆様。
ちなみに、これ以降、メイン会場でのレッドカーペット、続く、ワールドプレミアが行われる劇場、Zoo Palastでのレッドカーペットと上映、その後のティーチインを終えるまで、「一切の後戻りはできません」と言付けられました。双六で言うところの「一マス戻る」とかはなしね、ということですね。始まったら最後、「ちょっと待った」はききません。かつ、ここで、三峰さんや、その他の関係者の方たちとは一時的にお別れ。
Wi-Fiともしばしお別れということか!
気分はもうまな板の鯉、ということで、Teslaに乗って、出発です。
さて、鬼が出るか蛇が出るか、次回はいよいよベルリン国際映画祭レッドカーペットでの顛末です。
 


(つづく)

(いながききよたか)


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