『日本映画を世界のミニシアターへ』プロジェクトを始めた関さんについて(2)

(2022/12/12 いながき)
弊社、株式会社コギトワークスの代表:関友彦によるクラウドファンディング、『日本映画を世界のミニシアターへ』プロジェクトが始まって、はや19日がすぎました。残り40日!
ここであらためて、URLを載せておきましょう。
 
https://camp-fire.jp/projects/view/633004
 
皆様、関友彦がしたためた熱いメッセージは読んでいただけましたでしょうか?
まずは目を通すだけでもいかがですか?
日本映画界について、いままで知らなかったあれこれが書かれているかもしれません。
ぜひ、お目通しくださいますようお願いいたします。
 
さて、前回から関さんについて書きはじめ、『また来週!』と言ったものの、二週間以上が空いてしまいました。ダメですね、締め切りを守らない脚本家は。
ちなみに、これを書いているのは、コギトワークス所属の脚本家、いながききよたかです。
前回の記事にも書かれている通り、実は、関友彦と共にこのコギトワークスを起業した役員でもあります。
いわゆる影の支配者とでもいいましょうか、密かに『専務』などと呼ばれたりしています。その実、なんにも専務かもしませんが……。
 
さて、前回は、関さんがこの『世界のミニシアターへ』プロジェクトのアイデアを元に、クラウドファンディングを企てようとしたところまでで終っていたような気がしますが、もう少し時を巻き戻して、昔語りから始めようかと思います。
 
いまでこそ、今回のこのプロジェクトの相談を関さんから受け、僕も「ぜひやるべきだ」と端的に答えたように、否応とその理由を話すくらいの、端から見たら少々薄いくらいのコミュニケーションが多くなりましたが、かつては違いました。
友人同士から出発した関係も、やがて仕事仲間、さらには共同経営者になろうかという道程で、我々はそれこそ侃々諤々、喧々囂々たるやりとりを繰り返して参りました。
中でもコギトワークスを起業するやせずやの2007年あたりは、実は、会うたびにかなりきわどい言い争いに発展することもしばしばでした。
そんなに衝突するなら、一緒に起業しなければいいのに……、確かにそうも考えました。
ただし、二人とも、根本には、前回も書いた『十年後、自分たちが作りたいと思える映画を作ることができるようになっていたい』、この考えを共有していました。
しかし、思惑のすべてを共有することは無理です。来るべき会社の在り方、社員に対する考え方、お互いの映画観、自分たちの未来像……、共に会社を経営するならば、それらを念入りにすりあわせなければならない、そう考え、来る日も来る日も話し合いをし、その都度、お互いの考えを戦わせていたのです。
 
その話し合いのすべてを細かくは覚えていません。というか、ほとんど忘れてしまっていると言ってもいいくらいです。
ただし、いくつか覚えていることもあります。
その中で、関さんは、『会社は大きくしたくない』ということをしきりに言っていた気がします。
彼の中の『大きな会社』の規模がどれほどか、それは当時の会話から推し量れば、おそらく我々と社員を併せ、15人ほどかと思います。
15人ほどの会社で、すでに『大きい』と考えていたわけで、そのあたりがなんとも30歳そこそこの我々のかわいさなわけですが、とにかく、それに対して、僕は『大きくするつもりはなくても、大きくなるものだ』と反論したと思います。
つまり、我々は、我々が夢想する会社の規模のベストバランスを考えていたのでした。
 
関さんにはどういう思惑があったのでしょう。このほかにも、『できるだけ敷居は高くしたい』とことあるごとに話したりと、とにかく会社の在り方をクローズドの方向へと向かわせたがっていたように感じます。なぜなのか、今となっては、本人も覚えているかどうか……?(今度、答え合わせしてみましょう)
 
当時、我々が得た結論は……、「わかった、関さんがそう言うなら、そういう方向でいい。ただし、会社は、我々の好むと好まざるとに関わらず、その時流に合わせ、拡張したり、縮小したりするものだ」と僕が結論づけたように覚えています。
 
さて、あれから、15年が経って、コギトワークスはどうなったでしょうか。
今年、新たに社員を迎え、来年からは、役員、社員併せて12人態勢で新たな一年を始動しようとしています。
当時の関さんの言葉に沿えば、まだ『小さい』でしょうか。それとも、当時の我々では創造も出来ないほど『大きく』なったのでしょうか。
それはわかりませんが、一つ言えることは、今、関さんは、自分の会社で作った映画を、自らの手で世界へ届けようとしています。
規模の大小はともかく、起業当時には、思いもよらない地点まで来た気もします。
そして、この地点は『到達』では決してなく、さらにこの先へ向かう通過点なのでしょう。
 
ちなみに、起業当時、いろいろ衝突した挙げ句、一度、『もう起業はやめよう』となったこともあります。しかし、我々は、結局、コギトワークスを船出させました。
その時、関さんと僕との間で、約束したことが一つだけあります。
それは……、
まあ、今、ここに書くのはやめましょう。また機会があれば、またどこかでお伝えできれば。
 
(この続きは、来週かも!)
 

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