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アンチクロノス  時間を哲学する その2

その2
アンチ(反)とクロノス(時を司る神)を組み合わせた造語「アンチクロノス」という表題のもと私は探究を続けている。時間を止めてみたいという強い願望が私にはある。そして時間をじっくり観察しそれが一体何なのかを見極めたい。SFにはたくさん時間を止める話が出て来るのだがこれまでの歴史で実際にそれを成し遂げた者はおそらく存在しない。万が一いたとしても私はそれに気が付かない。そして誰も気が付かない。時間は「時間を止めた者」だけにしか「時間が止まっていること」がわからないという性質を持っているからだ。恐るべきクロノス。この論考で私はこの怪物を倒せるのであろうか。


21.
大森荘蔵氏は『時は流れず』(青土社。1996年)の中で書いている。
《時間が流れる、時の流れ、という観念は古今東西にわたって人間を呪縛してきた巨大な比喩であることは間違いない。今日でもなおこの観念はわれわれのなかに棲みついていささかの衰えもみせていない》(89頁)
《「時間の流れ」とは結局のところ内容空虚な錯誤であると断定せざるをえない。初めに述べたように、この錯誤が生まれる大本は、時間軸上の時間比較が運動と何の関わりもないという事実についての信念が十分に徹底していないところにある。そしていっぽう現在経験には時間の動きだと誤って見なしがちな多くの体験が含まれていることもこの錯誤を強化する。運動と無縁な静態的時間軸の運動の欠落をこの現在経験の運動まがいによって埋めようとするときに「時の流れ」の錯誤が発生するのである》(93頁)
《運動と無縁な過去・未来と、運動に満ちた現在という対極的に異質なものを一本の時間軸に統一して過現未と接続した時間の制作そのもののなかに、「時の流れ」の錯誤の種子が胚胎しているのである》(93頁)
大森氏のこれらの思索は「時間は存在しない」という私の直観を裏付けるための強い味方である。但しその言葉運びが私の表現したい事と少し異なるのでその溝を少しずつ埋めていきたい。大森氏は「現在」を運動するものとして捉え「過去」「未来」は静止しているものと定義した上でその質的な違いを強調する。運動しない「過去」と「未来」のあいだに動いている「現在」を挟んで一列に並べ「時間の流れ」とする。このように捉える悪い癖が私たちの頭脳にはあるのだと。
一方私の考えは。そもそも運動だけがあって時間はない。私が呼吸し手を動かし何かを考える。それはみな私の身体の運動である。空が暗くなり星が出る。それも地球の自転という運動の一場面である。夜が明けて太陽が上り朝となる。それも運動である。決して時間が流れてそうなった訳ではない。大森氏の考えとこの私の考えを接合するとするなら。《すべては運動する「現在」である》という命題が導き出されるだろう。
22.
「過去」は〈運動する現在〉にこの私が保持する記憶によってしか意味をなさない。「未来」もまた〈運動する現在〉のこの私の予測の中でしか意味がない。大森荘蔵氏は「過去」も「未来」も言語化された命題であり知覚する事ができないとする。人間が知覚し経験できるのはいつも「現在」だけなのだ。これを「唯現在主義」であると呼ぶならば。私の考えは「わたし中心主義」である。〈運動する現在〉にあって言語化された「過去」や「未来」には存在しないもの。それは〈この私〉である。「現在」とはつまるところ〈この私〉のことでしかないからだ。私の存在と関係ないところで「現在」が運動するであろうか。それは絶対にないのである。ここでようやくデカルトの「考えるわたし」と『時間論』が深く結びつく。
私が大森荘蔵氏を知ったのは高校時代の国語の教科書である。筑摩書房『高等学校用 国語Ⅰ 改訂版』(1984年)の204頁に「真実の百面相」という一文が掲載されている。当時私はプラトンの思想やデカルトの哲学など全く知らない。それに大森氏の文章には哲学者の名前が出て来ない。日常の出来事や言葉を使って真相に深く迫る魅力的な考察。いま読み直して見ると大森氏がプラトンのイデア論やデカルトの二元論を暗に批判しているという事が分かる。例えば大森氏は次のように書く。
《夕暮れに山道を歩いていてふと前方の道の曲がりかどに人がたたずんでいるのが見えた。だが近よってみると奇怪な形をした岩であった。こうしたとき人は先刻見えた人影を錯覚だとか幻影だとか言うだろう。そこには岩があるばかりで人間などいなかった、だから私に見えた人影はただ私の心だとか意識の中にだけあったものだと。だがこの一見無邪気で至極当然な考え方が実は危険な世界観の発端になる。というのはこれが、真実の世界と私に映じたその世界の姿という「本物─写し」の比喩の入り口だからである》
イデア論の誤りを正し二元論の迷妄を打ち破ろうと企てる大森荘蔵哲学。この出会いから34年が経った。それは果たして過去の出来事なのか?
23.
「時間が存在しないと何か問題が起りますか?」とAは云う。「待ち合わせができなくなると思います」とBは云う。「時計があればそれは大丈夫でしょう」とAは云う。「時間がないのに時計があるのですか?」とBは云う。「時間がなくても地球は自転しますし太陽のまわりを回ります」とAは云う。「それだとやはり時間があることになりませんか?」とBは云う。「時間が存在すると云うためには時間の外に出なくてはなりません。時間の外でなら観測者は確かに時間の流れのようなものを計測できるでしょう。だが果たしてそのような場所がどこかにあるでしょうか?」とAは云う。「時間の外とはつまり世界の外部ということですね。そこにいるのは神だけです」とBは云う。
この世界に生きている以上誰も時間の外には出られない。宇宙のどこに居ても同じことである。そこでは時間の有無を確かめることが原理的に不可能である。時間を止める装置を発明する以外に時間の存在を証明するすべはない。ではなぜ人は「時間がある」とか「時間が流れている」という表現を使うのだろう。
時間とは太陽に対する地球の位置を別の言葉で言い換えたものである。運動が周期的であったために一日という範囲を決めることができた。さらにそれを24等分して一時間という単位を作った。つまり地球そのものが時計の役割を果たしているのだ。もし仮に地球が宇宙をひたすら前進するだけの天体だったとしたら私たちは「時間」という概念を持たなかったであろう。常に風景の変わる列車に乗っているようなものだ。その場合私たちは位置だけを意識する。
「ところで時間という概念がなかったら空間という概念も消えるのでは?」とBは云った。「それはどういう意味ですか?」とAは云った。「時間を特定できないのであれば場所も特定できない筈だからです」とBは云った。
24.
「時間」を作ったのは自然科学だろうか? 科学と言うよりか人間の知性がそれを必要としたと言った方がよい。そして科学の進歩と共にその捉え方が変化してきたのだと。例えば17世紀では宇宙全体に流れている時間はどこも同一であると考えられていたがアインシュタインが登場した20世紀にはそれが覆された。ただしこれらはいずれも地球上で構築された地球人のための物理法則である。翻訳さえできれば異星人にもそれは通用するのだろうか。
例えば月面に人が住んでいたとする。かぐや姫の種族だ。月は地球の周囲を公転している。その周期はおよそ27日間(地球の単位)で一周。そうすると月面人にとっての一年は27日間であるという事になる。月面人は地球人の13.5倍の早さで歳をとることになる。さらに月は自転もしている。その周期はこちらも27日間。つまり月の一日は月の一年であるという事になる。月面で構築される一時間という単位が一体どのようなものになるのか。想像がつかない。このように水星金星火星木星土星などそれぞれの星で時間の単位を構築する異星人がいたとしたらどうなるか。太陽系さらに銀河系統一の「時間」は作れるのか?
25.
釈迦の悟りは「法」(ダルマ)という一語に集約されることがある。それを「宇宙の理法」と呼んだり「梵我一如」と解釈したり「諸法実相」と表現したり様々ある。紀元前500年のインドで釈迦は「法」の存在を確かに覚知したのだと思う。そしてそれを衆生にわかる言葉に翻訳してゆくプロセスが紆余曲折あって仏教として残った。そこには計り知れない知恵と工夫が凝らされていて比喩もたくさん創られた。「法」を釈迦(仏)がキャッチして言葉(教)に変換する。
これに対して自然科学が見つけた物理法則はどのような位置づけになるか。天体観測から慣性の法則や万有引力。物の分解から原子や電子の動き。生物の解剖から細胞の仕組みやDNAや免疫。科学が次々に解明して来た無数の法則について。私はこれらも「宇宙の理法」の一部を科学者(声聞)がキャッチして言葉(学)に変換する過程であると思う。
声聞ではつかめないが仏ならつかんでいる「法」を縁覚や菩薩の境界でキャッチしようとする態度もある。例えばユングの集合的無意識という考え方は科学的に証明不可能だが現代ではかなり市民権を得られている概念だ。離れている者同士がどこかでつながっている。心情的にもそれは受け入れられている。このあたりは声聞(科学者)の領域をはみ出している。そして縁覚(芸術家)ならそれを直観する。菩薩(救済を仕事にする人々)ならそれを疑わずに実践する。彼らがそれを信じることができる根拠は仏(師匠)の存在だ。私は今回の探究においてあえて声聞に徹してみようと思う。声聞の立場から「法」を語る。懐疑の果てに見える「法」。
26.
近代社会の時間意識について真木悠介氏は『時間の比較社会学』(岩波現代文庫)の中で次のように書いている。
《音楽における定量音符の使用と発達は、十五世紀から十七世紀にかけて順次整備されてきたものであり、それはちょうど、デカルトの名をとった抽象化された空間座標系の確立と時期を同じくしているということを、松下真一は指摘している。/音の高さとその順序のみを示すそれ以前の音符にたいして、定量音符はいうまでもなく、音楽の中に、標準化された計量可能な時間を導入するものである》(274頁)
バロック音楽に始まる西洋音楽の歴史が世界に浸透し音楽と拍子が切っても切れない関係になった時代しか知らない私たちは拍子のない音の連なりを音楽として見做さないかもしれない。私はその例外を探そうと思い武満徹の音楽を聴き直してみた。有名な「ノヴェンバー・ステップス」1967年の作品である。琵琶の弦の響きに規則性はない。そして尺八の管を通過するのは風。私はこの二つの和楽器から雷電を想起した。自然界に突如現れるノイズ。それにひたすら驚かされる心。
武満徹氏は「〈ノヴェンバー・ステップス〉について」の中で書いている。
《3 洋楽の音は水平に歩行する。だが、尺八の音は垂直に樹のように起こる》
《7 地球上に時差があるように、オーケストラをいくつかの時間帯として配置する。時間のスペクトラム》
《10 特別の旋律的主題をもたない11のステップ。能楽のようにたえず揺れ動く拍》
とっくに試みられているのだ。「時間」による支配から人類を解放するための音楽の可能性。
27.
私は幼い頃からなぜかカミナリが好きである。街中に響く大音量。空にきらめく閃光のスケール。どんなに騒がしくてもカミナリにクレームを云う者は一人もいない。その威厳にとても興味があった。いつ光りいつ音が鳴るか予想がつかない。そのカオス(混沌)にもとても魅力があった。農耕民族にとっては雨を降らす大切な神。漢字の「雷」は大きな音を。「電」はピカッという光を。セットで「雷電」。
人間は予測不能なものが苦手だ。コガネムシはゆっくり歩くからそれほどでもないがゴキブリのスピードは人間を脅かす。同じ昆虫でも予測不能は嫌われる。パンダだってもし動きが敏捷だったらあれほど可愛がられたりはしなかったのではないか。規則性のあるもの。周期的なもの。生活をリズムに乗せて。くりかえす。コスモス(秩序)への憧憬。その反対のカオスは忌避される? 雷電は予測不能の代名詞かも知れない。どこに落ちるか分からないから怖いのだと。
「時間」「空間」「人間」にはいずれも「間」がある。「時間」は「ときのあいだ」。「空間」は「そらのあいだ」。「人間」は「ひとのあいだ」。「ときのあいだ」とは生と死の事。「そらのあいだ」とは日や月や雲が移動する場の事。「ひとのあいだ」とは他者との関係の事。「時」を「日」と「土」と「寸」に分解する。日が土地に付ける印と解釈できる。つまり日時計。「間」を「門」と「日」に分解する。門をひらくと日が見える。朝日もしくは夕日。それに合わせて寺院では鐘を打つ。これらの漢字解釈は私独自のもの。思い付きの域を出ない。
「時間」「空間」「人間」はコスモスの支配を受け容れるのに対し「雷電」はそれを乱そうとするカオスの化身である。
28.
「雷電」と云えば「RYDEEN」。YMOが1980年に発表した2枚目のシングル曲である。我が家には1979年に発売されたYMOのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』があった。ライディーンはこのアルバムの三曲目に収録されていた。だからシングルカットされる前から聴いていた。古賀家自慢のDENONのタテコン。レコード盤を縦にセットしてスイッチを押す。ヘッドホンをかぶる。つっつくつっつくつっつくつっつく……。電子音のインパクト。全身が痺れる。10歳の少年だった私にはあまりにも印象的な出来事であった。
今でも当時のレコードはそのまま私の部屋にある。時々アナログで音を楽しみたいと思いレコードに針を落とす。流れて来るテクノミュージックは電子音。アナログでデジタルの世界を味わうという贅沢。しかしこのライディーンはカオスではない。リズムとビートに乗って展開していくコスモスだ。音楽はバッハ以来ずっとこの調子を崩していない。時間の支配を許しているからだ。YMOのメンバーのひとり坂本龍一氏は東京芸術大学の学生だった頃武満徹氏を中傷するビラを撒いた事があるという。学生運動の一環だったのだろう。権威の象徴のように思っていたそうだ。その武満徹氏の音楽の幅は広い。その実験的作品の中には時間の支配を乗り越えようとするものもあったに違いない。
29.
現実の世界をあるがままに記述する事は困難だ。
私は昼食後に散歩をした。林試の森を歩いた。汗をかくと思ったので眼鏡をかけずに行った。強度の近視と乱視で見る世界。視界はぼやけているが印象派の絵画だと思えば楽しい。鳥の声がする。蝉が鳴いている。風で揺れる木々のザワザワ。水浴びをする子どもたちのはしゃぐ声。上空にヘリコプター。それらの音にはアンサンブルはない。メロディーもない。リズムもない。まとめて聴いたら騒音である。私の耳は私が歩く音も聴いている。否。耳ではなく全身が何かを聴いている。足の裏でも。掌でも。瞼や頬や唇でも。こうして言葉を並べているのは〈思考〉である。
このような報告をいくら重ねても現実の世界をあるがままに記述した事にはならない。私は汗もかいているし鼓動も早くなっている。木漏れ日のきらめきや草木の香り。池の中から顔をのぞかせている亀。池のほとりのカラス。その他目には映らない昆虫たち。土の中には数え切れない微生物がいる。バクテリア。アメーバー。細菌。元素の数々。宇宙からの光線。これらの言葉を並べているのは〈思考〉である。
このような報告をいくら重ねても現実の世界をあるがままに記述した事にはならない。私は祈りを捧げていたかもしれないし欲望していたかもしれない。考え事をしていたことは確かである。どこまで行くか決めてはいないが公園内からは出ないだろうと考えていた。最近読んでいる本の事を思った。中島義道『生き生きした過去─大森荘蔵の時間論、その批判的解読─』(河出書房新社。2014年)である。大森荘蔵氏の生涯にわたる思索の過程を弟子の立場で読解している。矛盾しているように見える部分や難解な部分にも独自の視点から意味を与えようと努力している。その継承と批判のせめぎ合いがとても刺激的である。「経」に対する「釈」や「論」を持つ仏教体系にも似た営みだが中身は西洋哲学である。
森を歩きながらその哲学について考えてみた。が。森の中にいる私の〈直観〉に比べたらそれらの〈思考〉は遙かに遠い。
30.
私たちはコミュニケーションを成立させる都合上どうしても「過去・現在・未来」があるということに同意しなければならない。しかしひとたび「わたし」というベールをはがしてしまえばそういう「時間」はもともと無かったという事に気が付く。そのことを言葉で説明するのは至難の業である。
例えば人は「現在」という時間の幅をどれくらいに設定しているだろう。最近私は3歳の頃のじぶんの声が録音されたカセットテープを聴いた。私の周囲には父親と姉と幼なじみの大ちゃんと大ちゃんのママがいた。明らかにそれは「過去」の出来事であろう。しかし私にとってはその出来事と「現在」は少しも途切れてはいない。カセットテープを聴いた事とそのテープの中に記録された出来事は私にとっては「現在」である。この場合「現在」は46年の幅を持っている事になる。
耳が聴く音。目が見る色や形。肌が感じる物の感触や温度。鼻が嗅いでいる匂い。五感が作り出す〈直観〉。それを「わたし」と名付けている。「わたし」の中には蓄積された言葉がある。それを引き出しながら〈思考〉する。「過去・現在・未来」が〈思考〉の側にあるならばそれは便利に使い分けられる。しかし〈直観〉の側に投げ入れてみよ。果たしてどこからが過去でどこからが未来だと云うのだろう?
音に「過去・現在・未来」などない。匂いだってそうだ。世界を区切るのはいつだって〈思考〉の方である。
31.
さらに〈直観〉と〈思考〉を対比しながら論を進めよう。ちなみに私は「直感」という言葉を使用しない。感覚するという意味では「直感」の方が良いのかも知れないが「観念」の意味を含意させることで「直観」という言葉の働きをうまく活用したいという意図が私にはある。
ところで生身の身体は常に〈直観〉している。〈直観〉しながら生きている。暑い。寒い。お腹が空いた。喉が渇いた。眠い。仕事しなきゃ。あ。本を返そう。肩がこった。こうした〈直観〉の連続が純粋に持続していく。おそらく死ぬまでそれは続く。そこに「わたし」という名前を与えるのは〈思考〉である。
コミュニケーションはその「わたし」が別の「わたし」に何かしらのメッセージを送る事で成り立っている。つまり〈思考〉というフィルターを通して記号を組み立てるのだ。〈直観〉はそのままダイレクトに送信できない。それは私固有のものであり誰かと共有することができないのである。
外が暑いと感じているのは私である。かき氷をうまいと感じているのも私である。冷房を入れて涼しいと感じるのも私である。それを誰かと共有したいと思っても〈直観〉できるのは私しかいない。そこに独我論の根拠がある。にもかかわらず私は「わたし」という名前をじぶんに付けてもう一人の「わたし」を求める。〈直観〉されたものを加工し記号を作りそれを外に出す。それは身振りであったり声であったりあるいは絵や手紙や料理や音楽になったりする。その記号化されたメッセージを誰かがキャッチして「ぼくにも同じ経験があるよ」「わかるよ」「知ってるよ」と云ってもらえたらなんとなく共有できた様に感じるのだ。しかし実際はそれも錯覚である。
モデル1) 私の〈直観〉→私の〈思考〉→記号化されたメッセージ←誰かの〈思考〉←誰かの〈直観?〉
メッセージの左右には〈思考〉がありそれを私の〈直観〉と相手の〈直観?〉が挟んでいる。このサンドイッチモデルはあくまで仮想である。私の〈直観〉は確認できても相手の〈直観〉は想定の域を出ないからだ。そもそもこの世界で〈直観〉しているのは私一人である。その確実な私の〈直観〉に比べて相手の〈直観?〉はいかに頼りないものであることか。そこで〈思考〉の存在に注意が向けられる必要が出て来る。
32.
「私の〈思考〉と誰かの〈思考〉の違い」は「私の〈直観〉と誰かの〈直観〉の違い」に比べたらそれほど大きな差がないように私には見える。なぜなら〈思考〉は言葉を道具にしているからだ。言葉はもともと私のものではなかった。もちろん相手のものでもなかっただろう。集団がその構成員全員に通用する道具として用意しておいたものだ。初めから共有されていたのだ。したがって〈思考〉同士はとても繋がりやすいのである。そこでモデル1)として示した「私の〈直観〉→私の〈思考〉→記号化されたメッセージ←誰かの〈思考〉←誰かの〈直観?〉」を改良してみよう。
モデル2) 私の〈思考〉→メッセージ←あなたの〈思考〉
モデル2)はとてもスッキリしている。日常はこのレベルで動いているのだろう。そこでは「私」とか「あなた」という主語もいらないかも知れない。コミュニケーションを定式化するならさらにシンプルに
モデル3) 思考→メッセージ←思考
とした方が良いだろう。
デカルトの「わたしは考える。ゆえにわたしは存在する」に話を戻すならば。私はそれを「思考即存在」と言い換えた。するとモデル3)はそのまま実体であると云わなくてはならない。〈思考→メッセージ←思考〉は確実に存在している。そこから新たな二元論が生じる。〈直観〉は身体としての実体。〈思考〉は心としての実体。「心身二元論」に当てはめれば「〈思考〉〈直観〉二元論」である。
33.
私は今のところ言葉を操作しているだけである。果たしてそこに新しい発見があったのか。分からない。しかし〈思考〉と〈直観〉の二元論ならば〈心〉と〈身体〉の二元論よりもそのつながりがより鮮明に見える。気がする。〈直観〉だけでは人間的な生活はできない。〈思考〉があるから連続した作業も可能になる。また〈思考〉だけでは生きているとは云えない。やはり痛みや開放感がどこかで必要である。ただしこの二つには質的に大きな違いがある。〈思考〉は言葉を使用するため「時間」の支配を受けるが〈直観〉は「時間」の影響を受けない。〈思考〉は個人を特定しないが〈直観〉は私固有のものであり独我論の中にある。
私が世界を観る時〈直観〉しているのは私独りであるがそれを〈思考〉によって記号に変えて他者に届ける事は可能である。
私は二日間だけ軽井沢にいた。仕事があるので東京に戻ったが。街中暖房を入れているように蒸し暑い。電車の中で『時間と空間をめぐる12の謎』(ロビン・レ・ペドヴィン著。岩波書店)を読む。時間を計る。しかし時間を計っている間にも時間は経過する。ではその「時間を計っている間に経過する時間」を計るのは一体誰なのか? そんな謎に迫ることに興味を持ってしまう人はたくさんいる。
きのう私は真っ暗な茶室に布団を敷いて寝た。午後6時から翌朝6時まで眠った。軽井沢の山の中は静かである。静寂と暗やみの中にいる間確かに時間は流れていなかった。私は目を閉じて目を開けただけである。
34.
小野光子『武満徹 ある作曲家の肖像』(音楽之友社。2016年)を読む。武満徹氏のデビューの時のエピソードが興味深い。「新作曲派協会第七回作品発表会」が東京の読売ホールにて開催された。1950年12月7日の事である。武満徹氏は〈二つのレント〉を発表した。
《会場には、瀧口修造、山口勝弘、北代省三、岡本太郎も来ていた。そして武満がチケットをプレゼントした浅香さんとその姉も来ていた。(中略)/そのほか、聴衆の中には武満の生涯を通して友となる二人の同年代者もいた。のちに音楽評論家として活躍する秋山邦晴と、作曲家となる湯浅譲二である》(45頁上段)
この発表会の翌日に武満徹氏は知り合ったばかりの秋山邦晴氏の家を訪ねる。
《それほどの長時間、何を話したのだろうか。秋山は音楽家には「音楽の世界にだけ閉じこもっていて、他の世界のことをほとんど知らないという人が多い」と感じていたが、武満とは文学から美術までいろんなことを話せた。武満は、秋山が俳句に詳しいことで親しみを覚えた。武満は中村草田男、西東三鬼に興味を抱いていたが、武満いわく秋山の父親は加藤楸邨の弟子で、秋山自身が俳句をたしなみ、武満以上に詳しかったため、話題は尽きなかった。そして武満は秋山を通して、シュルレアリスムが紹介された戦前の雑誌『詩と詩論』(瀧口修造も寄稿している)や、戦後刊行された現代詩を紹介する『詩学』を読むようになり、詩への関心を深めていった》(45頁下段)
青年が詩との出会いを果たす瞬間のくだりにはいつも胸が熱くなる。
《さて、〈二つのレント〉の初演から五日後の12月12日付の東京新聞に、批評が掲載された。執筆者は当時の著名な評論家、山根銀二。武満については、最後の一行に記されていた。この言葉は今ではあまりにも有名だ。曰く、「武満徹の〈二つのレント〉は音楽以前である」》(46頁上段)
当時の武満徹氏にとってはあまりにも大きなショックだった。絶望して音楽をやめようとさえ思ったほどだ。しかし「音楽以前」という評価の意味は計り知れないほど深い意義を持つ。この時の「音楽」が時間による支配を当然としていたとするならばアンチクロノスにとって「音楽以前」は最大級の賛辞に変わる筈だから。この頃から武満徹氏の後ろにはいつも瀧口修造氏という詩人が見守っていた。


35.
さらに小野光子『武満徹 ある作曲家の肖像』(音楽之友社。2016年)から引用しよう。
《武満は、瀧口の詩に触発されて音楽を作曲するようになる。そしてタイトルも、詩情を帯びるようになる。個々の作品については追って述べるが、ここでは武満と瀧口が非常に深いところで響き合う精神性を共有していたことを記すに留めておきたい。瀧口と武満がいる場に居合わせたことのある大岡信によると、「あの二人が一緒にいると、いつも独特の濃密な空間がそこにできて、他の人がちょっと近よれないような感じになることがありました」》(48頁下段)
時間による支配から逃れようとするプランを武満徹氏はどこから着想したのか。ヒントは瀧口修造氏にあるかも知れない。
《武満は新作曲派協会の次の発表会で、ヴァイオリンとピアノのための作品を発表することにした。今回は〈二つのレント〉のような作品の構成を示すタイトルではなく、自分が刺激を受けた詩のタイトルを、そのまま用いることにした。〈妖精の距離〉である》(49頁)


うつくしい歯は樹がくれに歌った
形のいい耳は雲間にあった
玉虫色の爪は水にまじった
脱ぎすてた小石
すべてが足跡のように
そよ風さえ
傾いた椅子の中に失われた
麦畑の中の扉の発狂
空気のラビリンス
そこには一枚のカードもない
そこには一つのコップもない
慾望の楽器のように
ひとすじの奇妙な線で貫かれていた
それは辛うじて小鳥の表情に似ていた
それは死の浮標のように
春の風に棲まるだろう
それは辛うじて小鳥の均衡に似ていた

「妖精の距離」 瀧口修造 


私はこの詩を『瀧口修造の詩的実験1927~1937』(思潮社。1978年。縮刷版)で見ている。元は阿部芳文氏との詩画集『妖精の距離』の中の表題作である。見開きで右に「詩」左に「絵」が掲載されたとても美しい詩画集である。インターネットにはその写真が観られるようになっている。瀧口氏は絵を見て詩を書いたのかそれとも詩が先に書かれたのかそれは分からない。ただこの詩画集からインスピレーションを受けて武満徹氏が音を取り出した事は間違いない。とすれば瀧口氏の言葉にはダイレクトに訴えて来る何かがあった筈である。
試みに詩の中身を少し詮索してみる。「歯」「耳」「爪」と身体の部位が出て来る。これが誰のものなのかは示されない。しかし後半に二度出て来る「小鳥」にヒントがありそうだ。「樹」「雲間」「水」いずれも「小鳥」とは無縁ではない。そこから連想できる世界を読者なりに構築してみる。風は麦畑の麦を扉のように開かせてゆく。そこでは空気が迷宮に迷い込んだように動く。春の風が描き出す軌道は「辛うじて小鳥の表情」「小鳥の均衡」に見えてくる。
だがこのような解釈は「言葉は実景を描かなくてはならない」という偏見から生じる誤読である。物語はなく。筋はない。詩句のそれぞれは必然性で結ばれているのでもない。シュルレアリスムであるならば作者もなぜそのような詩句になったのかがよく分からない筈だ。シュールな言葉を取り出せば「脱ぎすてた小石」「慾望の楽器」「死の浮標」などがある。それらが混然一体となって作り出してみせるのが「妖精の距離」という謎の言葉なのだ。
36.
瀧口修造氏の詩が武満徹氏にもたらしたインスピレーションについて。その詩句と詩句の隙間から〈直観〉に届くダイレクトメッセージ。シュルレアリスムであるがゆえにそれは可能である。〈思考〉を媒介して届く通常の言語的なメッセージではない。創作意欲はいやが上でも高まらざるを得ない。それを音として取り出してみたいという欲求。知に限定はない。無尽蔵の智慧。〈思考〉から〈思考〉への記号の伝達では決して起こらない創造のプロセス。モデル1)に当てはめれば次のようになる。
瀧口修造の〈直観〉→瀧口修造の〈創造〉→『妖精の距離』←武満徹の〈創造〉←武満徹の〈直観〉
かくして『妖精の距離』という作品は瀧口氏の詩であり武満氏の音楽でもあるという事になる。あるいはそこに阿部芳文氏の絵を加えても良いだろう。芸術は触発によって生まれるのだ。
唐突ではあるがデカルトの『省察』(世界の名著22デカルト。中央公論社。1967年)から引用する。
《ところで、もし私が千角形について考えようと欲するなら、なるほど私は、三角形が三つの辺から成る図形であることを理解する場合と同じように、それが千の辺から成る図形であることをよく理解するにしても、しかし、(三角形の三つの辺の場合と)同じように、その千の辺を想像することは、すなわち、あたかも現前しているもののように直観することはできないのである》(291頁)
三角形が容易に想像できるのはただ見慣れているからであろうか。五角形や六角形なども想像できる。では百角形はどうか? 
〈思考〉は千角形や万角形の図形が可能であることを導き出す。イデア論である。しかしそれをいざ想像しようとしてもできない。私はここにシュルレアリスムの存在意義を少なからず感じるのである。つまり想像できないもの(イデア)を見せる領域としてのシュルレアリスム。瀧口修造氏の詩が与えた印象もそれなのではないか。武満徹氏が音を使ってそれと同じ効果を人々にもたらそうとしたのはごく自然なことだったのではないか。
37.
鍵谷幸信『詩人 西脇順三郎』(筑摩書房。1983年)から引用する。
《大正十四年末、西脇氏はダダ、シュルレアリスムを初めとするモダニズムを、彼の脳髄にぎっしりつめこんで帰国する。そして慶応大学の教壇に立つことになるが、その教室に上田敏雄、佐藤朔、上田保、三浦孝之助、中村喜久夫、それに瀧口修造といった人たちがいたのである。彼らは、アリストテレスに始まりボアロー、ボードレール、エリオット、ブルトンなどを手玉にとって詩論を述べる西脇氏の講義にひどく魅惑されたようだ。佐藤朔、三浦孝之助、上田保、中村喜久夫、瀧口修造の五人が一つのグループをつくっていたようだが、ある日西脇氏が講義を終えて教室を出て行こうとするのを「ちょっとお話したいのですが」と話しかけたのが瀧口氏であった。ここから西脇氏と彼らが、単なる師弟関係をこえて文学的つながりをもつようになったのである》(187頁~188頁)
《これは先年亡くなった三浦孝之助氏から聞いたことだが、西脇氏の前夫人マージョリさん(画家)が一同の話を聞いていて、ある日三浦氏の耳もとで囁いた、「この中で本当のすぐれた詩人はジュンザブロウではない、サクでもタモツでもキクオでもない、タキグチ・シューゾウです」と》(188頁)
《ある時西脇氏と瀧口氏とが二人だけで話し、二人とももう何も話すことがなくなり、深い睡眠に陥っていった。ほどなくして二人が目をさますと、西脇氏が「なにも話すことがなくなった時が人間には一番いい」とぼそっといった》(189頁)
私は武満徹氏の師としての瀧口修造氏に焦点を当てて思索しているがそれには瀧口修造氏の師としての西脇順三郎氏に言及する必要がある。西脇氏の著書『超現実主義詩論』には《人間が現実を意識する習慣上の方法は普通の感情であり、理性である。この通俗の感情、この理智を破るとき、意識力が習慣伝統より脱して現実を新鮮に意識することが出来るのである。これは俗に批評家が近代の詩は破壊のみをなし建設せぬと言って罵るところであるが、実はこの破壊は詩の建設である。この破壊がなければ詩が想像力を得ない》と記されている。
38.
創造的破壊の第一波はダダである。『ダダイスト新吉の詩』(1923年)には《DADAは一切を断言し否定する》とあり《DADAは一切のものを出産し、分裂し、綜合する》とある。
創造的破壊の第二派はシュルレアリスム。西脇順三郎の『Ambarvalia』(1933年)には《ダビデの職分と彼の宝石とはアドーニスと莢豆との間を通り無限の消滅に急ぐ》とあり《脳髄は塔からチキンカツレツに向つて永遠に戦慄する》とある。
私たちはここで「意味の呪縛から解き放たれたコトバ」の二つの好例を見ている。瀧口修造の詩的実験はこうした先駆的な仕事の延長線上にある。


跡絶えない翅の

幼い蛾は夜の巨大な瓶の重さに堪えている

かりそめの白い胸像は雪の記憶に凍えている

風たちは痩せた小枝にとまって貧しい光に慣れている

すべて

ことりともしない丘の上の球形の鏡

「遮られない休息」 瀧口修造


ここに来てシュルレアリスムが〈思考〉を相手にしているのではなく〈直観〉を目指して飛んでくるものであるという事がはっきりしてくる。この詩からインスパイアされた音を創り出した武満徹の作品に触れればなお一層それが確信できるだろう。
39.
午後の退屈な会議に参加して何を言っているかわからない上司のだらだらした話を聞いている間の時間はなかなか進まない。この時。時計の針に目を落とし秒針が一周するためにかかる時間は一分ではない。夜に友人たちと楽しむフットサルの一時間はなんと早く過ぎ去ることか。カラオケボックスの中の延長三十分は瞬く間に過ぎ去る。子どもの頃の一年と大人になってからの一年はスピードがまったく違う。時間の進み方は「1/年齢」であるという公式がある。つまり1歳の時の1年が5歳になると5分の1年になってしまうという事だ。
このような経験から「時間はすべての人に平等に流れてはいない」と私たちは知る。にもかかわらず。ニュートンが云う絶対空間と絶対時間の存在を疑う者はいない。誰に対しても同じだけ進む時間がこの広い宇宙を貫いていることを疑ったりはしない。よーいドンで百メートル走らせて10秒で走った者が私の中では8秒でしたと主張しても認められない。試験会場で問題を半分しか解けていない者が私にはあと30分あると主張しても許されない。科学的説明はそれでもよいのである。ルールだから。人間と人間の約束事だから。問題は実感としての時間の方なのだ。
40.
中原中也は三十歳で死んだ。短い人生だったか?
宮沢賢治は三十八歳で死んだ。短い人生だったか? 
夏目漱石は四十九歳で死んだ。短い人生だったか?
今年五十歳になる私から見るならば皆短い生涯のなかでよくもあれほどの創作をやり遂げたものだと感服する。しかしそれは本人の実感とはなんの関係もない筈だ。彼らは生き急いだのだろうか? 死ぬまでにやり残した事がたくさんある筈だ。それでも死は容赦なく彼らを退場させた。気の持ちようではどうにもならないのが生老病死である。これは時間論の残酷面だ。だから道徳は人生の短さを説いて意味のある事にだけ時間を使用せよと云うのだ。逆算は誰にでもできる。しかし期限がいつなのかを自ら知っている者はいない。パラドックスの中にいる以上答えは簡単には出せない。

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