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ふくろう探偵社の日常 vol.1


 そのとき、突然ではあったが、彼は探偵になることを決意した。
 そして決意して初めて、自分は昔から探偵になりたかったんだ、とどこかで思い続けていたことに気がついたのだ。

 子どものころからシャーロックホームズなどの探偵小説も好きだったし、夜9時からはじまる2時間のサスペンスドラマを親たちが見ているのを見せられてもいた。
 刑事コロンボ(探偵ではないが)や、とりわけ「こちらブルームーン探偵社」なんかの洋物のドラマも大好きでよく見ていたものだった。
 そんな彼が、二週間ほど前、突如として自ら探偵になることを決めたのだった。そしてそれは、ある意味必然のことだったのかもしれなかった。

 彼の父、敦賀剛三は、若いころに脱サラをして、サラリーマン時代にお得意さんだった方の好意から、非常な格安で都会のいい土地を購入し、そこでパン屋を開業したのだ。パン屋と言っても、そこでパンを焼いて売っているいわゆるベーカリーではなく、ヤマザキパンという看板を背負って、ヤマザキパンのパンを小売りをするお店だ。
 いわば、駄菓子屋に毛が生えたような店という方が分かりやすいだろうか。
 その店はおそらく、剛三にとっては宝物のように輝いていたに違いない。
 息子であるヤスハルが、探偵をやろうと決意したのは、剛三が30年近く続けてきたその店を閉めることを決めた時でもあったのだ。

 ガタガタで、柱も微妙に傾いている、薄暗い店の中にヤスハルは入っていった。ひんやりとした空気と、湿気とカビの混じった匂いが、なぜか懐かしいものように彼には感じられた。隅っこの狭い階段から二階へと上がった。二階には、彼が少年だったころ、売り物の少年ジャンプや少年マガジンを寝転がりながら読んだ小さな部屋があった。
 二階の部屋は、荷物でごった返していた。パン屋をやりながら、いつの間にか剛三はリサイクルをもはじめていたこともあり、その廃品のような代物が所狭しと二階の部屋に詰め込まれていたのだ。
 足の踏み場もない、わずかにつま先立ちできるスペースでは、床が何とも言えず柔らかくなっていて、たわんでいて、いかにも崩れ落ちそうな感じでもあったが、しかし日当たりだけは素晴らしくよかったのだ。

 この店は、近々リフォームをして、一階のスペースを店舗として貸し出す予定にしていたのだ。懐かしいパン屋の見納めだと思って、ヤスハルは、秋の入り口である今日の午後、やってきたのだ。
 「これは、大変だ・・・」
 彼は、大量のがらくたを見て思わずつぶやいた。そして、少しだけリフォーム業者を気の毒に思った。
 一階はテナント貸しすることに決まっていたが、二階はどうするかまだ決まっていない。ともすれば、親たちが「自分たちが住もうか?」、なんてことを冗談か本気か知らないが話してもいた。
 場所は、大きな通りに面しているし、悪くはない。
 ヤスハルは、初秋の日光がまぶしい、大きめの窓を眺めながら、伸びかけたあごひげを抜いてしばらく物思いにふけっていたが、そこでふと、この部屋で自分が仕事をしているイメージが浮かんだのである。
 「まず、ここにデスクを置いて、そして向かい合った革張りのソファーがあって・・・」
 それはまさしく、彼の心の片隅にいつも密かに寄り添っていたイメージであった。それは、彼の思い描く探偵事務所の姿だったのだ。
 その時には、もう彼の心は決まっていた。そして、自分の積年の想いにはじめて気づいたのだった。
「そうだ、オレは探偵になりたかったんだ」
 そのとき、これまで彼を覆っていた、分厚く重い鉄の鎧のようなものが一気に溶解していくのを感じ、心も体も解放されるのを彼は味わった。一条の光さえ見えたような気がした。
 かつて剛三がこの店の開業時に見たキラキラした輝きを、ヤスハルも同じように感じたのだった。


 それから彼は、それまでまじめに勤めてきた市役所の職員を辞め、探偵事務所を開くことにしたのだった。
 新しい探偵の誕生の瞬間だった。
 そして、がらくたの山を眺めながら、事務所の名前を「ふくろう探偵社」とすることもその時に決めたのだった。

 

※ひとまず今回はここまで。
 できるだけ続きを書きたいと思います。

読んでいただいて、とてもうれしいです!