感銘を受けた。が比較に苦しむ

とあるバンドのライブに行った。
私自身ライブハウスでのライブは初めての体験。

自分とそう年齢の変わらない青年たちが楽しそうに情熱的に楽曲を披露していた。
初めてのライブだったこともあり、うまくノれるか、あの手を挙げてリズム取るやつ恥ずかしくないか、なんていろいろ余計な不安もあった。
そんなこと気にならないくらい、夢中でのりのりになって最後まで楽しませてもらった。
楽しそうに演奏したり歌ったりしているのを、それが一体となっているのを間近でみて本当にいい経験になった。

ライブやフェスは音が大きいし、あまりいい環境で聞くことが出来ないからそんなに気が向かなかったのだけど、アリだな。というよりもっと行ってみたい。普段、Amazonで買った中国製の安いスピーカーで聴きまくっているアーティストの熱を、声を、生で感じたいと思った。

結構近くで見れたし、出演者の一人は一緒に行った人の友人だったこともあり、少し身近な存在にも思えるのだけれど、圧倒的にプロ。
グッズやフライヤー、MVも自主制作しているそうで、自分たちの好きを形にしてそれが多くの人に響いていることもとてもかっこよかった


で、だ。
誰しも感じざるを得ない感情のような気がするが、感動や感銘の波が引いた後は、「私の生活は毎日同じことの繰り返しだし、大してやりたいことや興味があること、楽しいことを仕事にしているわけでもない。私の人生って、弱~~~~~~~!!つら!!!」という無気力感や彼らのような唯一を提供する仕事などの人への羨望の波が打ち寄せる。肩や頭が重い。

弱い、と言っている時点で明らかに「比較」している。その人たちはその人たちの苦しみや責任、静かで厳しい時間が絶対にあるし、そこにたどり着くまでも進んでいる間にも、向き不向きや運、タイミングなどいろいろな要素がある。


私はまた新しい物を、新しい気持ちまたは忘れかけていた過去の気持ちを、思い出した。



私も同じ人間、などとスケールにかまけた慰めを言い聞かせないとやっていかれない。。




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