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何者でもないシングルマザーである私。

2023/02/22
この日、私は新しい人生を歩くことが決まりました。
ちょっと遅くなりましたが、節目なのでこれまでを踏まえて残します。


思い返せば半年以上前の7月末。
毎日の生活に嫌気がさして、すべてを否定されている感覚がもう限界で。
「自分として」生きていくために、初めて目の前のひとから逃げました。
娘を連れて家を出ました。

誰にもいい顔をして生きてきました。
誰にも嫌われないように、みんなと笑顔でいられるように、穏便に、、、
と考えることが多かったこれまでの私からは考えられない行動でした。

直前まで、どう穏便に自分が自分らしく生きる人生を選ぶのか
どうすれば円満に離れられるのか、その方法はないのか
を考えていました、そうしないとだめだと思っていました。

実際、家を出る前日も家を出たその日の午前中も、
家を出る用意は準備しつつも、「逃げたい」とは言えませんでした。
これだけはしちゃいけない、と自分の行動を制限していました。

ただ、このまま生きていくのが怖くて仕方がなかった。
今逃げないと、自分が自分じゃなくなっちゃうような、そんな感覚でした。
未来が全部真っ暗で、何も楽しいことなんてないと思っていました。

そんなゆいの背中を押して、あの夜一緒にいてくれた6人。
いろんな人の言葉と行動に救われた一日でした。
数時間の意思決定でした。鮮明に覚えています。


いろんな日々の変動の中で不安定に揺れ動く自分の心。
涙が止まらず、周りに迷惑をかけ続ける日々。
自分の精神安定を図るためとはいえ、強硬手段に出ました。

LINE無視、電話無視、写真全消去、最終的にはLINEブロック

私なりの生きる方法でした。それくらい精神的に限界でした。
この頃の写真を見返してみると、すごくやつれてて。
いろんな人に「ご飯食べて」といわれたのを思い出しました。
そりゃ心配されるよな、という感じ。

親にも相談せずにその場で決めた家出。
だから、親に家出をしたと話すのもすごく怖かったです。

自分の身を守るための意思決定でした。
娘の人生にとってその意思決定がいいのか、より、自分を優先してました。

娘の人生にとってパパと離れることはいいことなのか
ママだけでさみしい想いをさせないのか
こんな人生嫌だったって、ママのせいでって、いつか言われないのか

すごく怖かったです。
もう戻れなかったけど、完全に切り離す怖さがつきまとっていた。


でも、今はこの人生を自分の中でも娘の中でも
正解にしていくしかないと思っています。
そのための意思決定をし続ける。

私はママになっても自分の人生を生き続ける。
そして、そんな女性を増やしたい。

子育てもしながら自分の人生を生きたい誰かの希望になれたらいいな。

育児しながら活動してて、すごいですね、
といっていただける機会が最近すごく増えました。
でも、今の私がすごいんじゃない。

譲れない自分の人生の軸を見つけてくれたこれまでの自分と
今の自分を信じて一緒に仕事してくれる仲間のおかげです。
ゆいの動き方を考えてくれるビジネスパートナーのおかげ。

だからこそ、これからもゆいなりの理想の未来を描き続ける。
明日でママになって2年です。3年目突入。
この1年でもっとできること増やして、両立を目指す女性の希望になりたい。

何者でもないママが生後4か月の娘を抱えながら始めたプロジェクトが
どんどん形になってきています。
まだまだ何者でもないけど、ただのシングルマザーだけど。
人生これからまだ50年以上。

もっといろんなことに挑戦して、
いろんな人の花が咲く瞬間に出会い続けたい。

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