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何者にもなれていない自分を嘆く

年をとるのなんて「あっ」という間だ。それは分かっていた。しかし実際に老いを感じる年齢になると理解の度合いが浅かったという事をイヤという程思い知らされる。ただ、10代や20代の頃は過去を振り返ってみても、それ自体に大した厚みがなかったように感じたのだが、この年齢になると流石に厚みのようなモノも出てきたように思える。そこで今までやってこなかった昔話、自分語りのような事をこのブログではやってみようかなんて考えている。ほら、いかにも老害のやりそうな事ではないか。だから遠慮をせずにあえてやってみようかと。

インターネット(以下、ネットと略称する)がまだそれほど一般的ではなかった1990年代半ば。当時、私はまだ高校生で周囲にはパソコンを持っている者も少なかった。真面目で若干オタク気質だった妹は既に自分のパソコンを持っていたのだが、どちらかと言うと活発なタイプだった私はパソコンに全くと言って良いほど興味を持っていなかった。キッカケは友人が自分のパソコンを手に入れたという自慢話をしてきた事で、安直極まりない事だが私はそれに釣られて欲しくなった。「パソコンが欲しいんだけど…」と伝えると、父は「ん?そうか。じゃー作れ!」とガラクタが沢山入ったダンボールを渡してくれた。ガラクタだと認識していたモノはパソコンの構成部品の数々だったようだ。パソコンの使い方よりも先に組み立て方を覚えた私。18歳で唐突に加わった自作PCという趣味は未だに趣味の一部になっている。

パソコンを始めたばかりの頃は本当に色んな事を一通りやってみていた気がする。最初はネット回線をすぐには繋いで貰えなかったので無料のゲームをしたり音楽や動画を鑑賞するための箱に過ぎなかったが、程なくしてネットに繋いで貰ってからは大手のチャットルームに出入りするようになった。その頃はそういうモノが沢山あった。ろくにタイピングすら出来なかった私だったが顔も知らない人達と話す事が楽しくて見る見るうちに上達していった。誰かに教わったワケでもなく自然と身に付いた自己流タイピングなのでブラインドタッチはお手の物ながらもホームポジションが身に付いている人から見れば結構めちゃくちゃな打ち方だろう。何にせよ、そうして身に付いたタイピング速度は今でも大いに役立っているので良かったとは思う。当時は10代でチャットルームに出入りしているような子は決して多くはなかったので年上の人達にはかなり可愛がって貰った。嫌で嫌で仕方がなかった高校を卒業すると同時に働き始めた私はスキャナーとペンタブレットを買って絵を描き彩色してみたり、グラフィックボードとHDDを買い替えて動画の撮影と取り込み、そして編集をしてみたり、MIDI音源を借りて駄作以外の何物でもない曲を作ってみたり、ホームページをいくつか作ってみたり。思い返してみると何をやっても楽しかったが、クリエイティブな方面に秀でたセンスが自分にはないのだと思い知らされただけのような気もする。結局はそこそこ速いタイピング能力以外は何も身に付かなかったというワケだ。

計画性のなさには自覚がある。昔からそうで今でも変わらずそうだから。勤続2年程度で仕事にも慣れてきた頃に私は結婚をする事になる。結婚と同時に仕事を辞めたワケではなかったけれど暫く務め続けた後に結局辞める事になった。ただ、この時の仕事に人並み以上の適正があったようでフリーランスとして仕事を続ける事が出来るようになった。決して好きな仕事ではなかったが仕事が好きな人なんて比率的に多くはなさそうだし、やりたい職業に就くことが出来ている人の比率も同じく多くはなさそうなので納得はしている。こんな書き方をすると私が結婚をした事を後悔しているように思われるかも知れないが決してそんな事はなく、むしろ私の人生観や哲学的にも結婚は優先すべき事だったし、結果的に2人の子供に恵まれた事も私にとって最良の出来事だったと断言しておく。とにかく私が結婚をして街で遊び惚ける事が容易ではない立場になってしまった2000年頃、世間にはブロードバンド化の波が来ていたのだ。パソコンで出来る事は一通りやってみるというスタイルの私がネットゲームをやり始める事は時代背景的にも必然の流れだったと言えるだろう。

ネットゲーム(以下、ネトゲと略称する)またはオンラインゲームとも言うが、この中で特にMMORPGと呼ばれるジャンルを始めた私は瞬く間にそれにハマり込んでいった。嗜む程度ならどうという事はないのかも知れないが文字通りハマり込んでいった私は気が付くと20年もの歳月をネトゲに費やしていたのだった。ネトゲ廃人と呼ばれる程ではないと思うし家庭や仕事を疎かにしたつもりはないのだが、ネトゲに向けていた情熱と時間を他所に回せばもっと様々な事に精力的に取り組む事が出来ていたのは間違いない。ひとつのタイトルのゲームをずっと継続してきたというワケではなく、飽きると別のタイトルに乗り換えるという形でやり続けてきたのだが、ネトゲを全くやらなくなった今思うのは私はネットの世界において何者にもなれていないという事だ。何かに20年間も熱心に取り組んで来たのであれば何かしらを成しているかも知れないし、そうでないとしても何かしらの人物にはなれている可能性が高い。しかしネトゲのプレイヤーなど辞めてしまえばただの人である。いや、それ以下かも知れない。「元〇〇オンラインの誰々」などという人物像はそのタイトルをやっていない人間からすれば無名以外の何物でもなく、そのタイトルを続けてる人からしても辞めて暫く経てば「ああ、そんな人いたっけ?」という程度の認識になるものだ。ネトゲを続けている人が大切に思うのは今現在も同じゲームを続けているプレイヤーの事だけであって引退した人の事なんてもはやどうでもいい。これは別に批判をしているワケではなく例に漏れず私自身もそうだったので仕方のない事だと思っている。話の流れ的にネトゲプレイヤーに限定した話をしているように思われるかも知れないが別にそういうワケではなく、ネットの世界には大なり小なり属性というか分類というか、つまりは「界隈」と呼ばれるモノがあって、そこに属する人達の間でコミュニティが形成されている事が殆どだ。そしてネトゲの界隈は特定のタイトルをプレイし続ける事が在籍条件となっており、引退すればそこから自然と排出される。そういう仕組みになっているのだ。

ネトゲを20年間やり続けてきた私だが辞めてしまった今となっては、こうしてネット上で何かを言っても過去の仲間達に気に留めてもらえる事はない。ブログをやれば同じゲームのプレイヤーが読みに来てくれたし、Twitterをやれば同じくプレイヤーがフォローして声をかけてきてくれていたのだが、今となっては私の書いた文章をわざわざ読みに来ようとする者など誰もいない。別にこんな事は今になって初めて気付いたというワケでもなく前々から分かってはいた事なのだが…。だからこそ飽きて辞めても別のタイトルに乗り換えてゲームを続けていたのだ。辞めた途端に何者でもなくなってしまうのが苦しかったのかも知れない。余りにも急に見放され、見向きもされなくなる。それが何よりも堪えたような気がする。今こんな記事を書いているのは別に誰かに構って欲しいとか、後悔しているとか、過去が虚しいとか、そういう事を言いたいワケではない。ただ、これからはネトゲの力を借りる事なく何者かになれたらいいなと思っている。何者でもない今の私でこのブログを始めたのはその第一歩であって、要するに自分語りの姿を借りた鬱陶しい事この上ない所信表明演説をしてるという事なのだ。

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