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センテンス・スプリング・リバース

広末涼子さん(以下、彼女と略称する)の不倫が世間で注目を浴びている。意識的に情報を集めようとしなくても勝手に目や耳にアレコレ飛び込んでくるくらいだから大きな騒動と言えるのだろう。不倫が良くない事なのは間違いないのだが、事の詳細に至るまで報道されるのは果たして正常と言えるのだろうか? 恋愛関係にある者同士の私信が衆目に晒され、それが世間の話題の中心になるような事態は明らかにマトモな状況ではないと私は思う。

私は彼女と同年代。俗っぽい言い方をすればタメである。故に彼女がトップアイドルの座に君臨していた数年間の凄まじさを私はリアルタイムで目の当たりにしてきた。当然、彼女を好きな同級生も沢山いたし、友人に付き合って音楽番組の収録に行った際にそう遠くない距離で彼女を目にしたこともある。その時に受けた衝撃を私は未だに忘れる事が出来ない。「え、この子って同じ人間!?」率直にそう思った。別格だった。疑いようもなく当時生存していた10代の女の子達の中で最も可愛い子だと一目見ただけで確信させるナニカが彼女にはあったのだ。それからの私は彼女の熱烈なファンとはならずとも、ひそかに彼女に好感を持ち続けて生きてきた。数多の奇行が報じられようが、早稲田大学を中退しようが、半グレ集団の構成員とデキ婚しようが、何ら変わらずに応援し続けてきたのだ。そう、あの一件が起こるまでは…。

ナマの彼女を一目見た時から隠れファンと化していた私が彼女に対する興味を急速に失ったのは今の旦那さんであるキャンドル・ジュン氏との再婚が発表された時だ。何やら耳にブッ刺さっている全身タトゥーの奇怪な男を目にした時の衝撃を私は未だに忘れる事が出来ない。「"かに座の女の子ってどこか少し大胆”って言っても程度問題やろがい!」率直にそう思った。どこぞの部族か、はたまた黒魔術師か、何にせよこの不気味な男のどこが良いのかサッパリ解らなかった。考えてみれば最初の結婚はまだ良い方だった。何より彼女も若かったし、色々問題はあれど見てくれは悪くない相手だったし、そもそも出来てしまったんだし…。男性を見る目がなかったとは言え、今回の失敗を糧に学びを得れば良いとさえ思えた。しかし二度目は流石に無理だった。読者にファンが居たら申し訳ないのだが、私はキャンドル・ジュン氏を生理的に受け付けない。その結果「ああ、彼女は私なんかじゃ理解も擁護もしてあげられない遠い存在になってしまったんだな…」と感じ、それからは意図的に彼女を見て見ぬ振りをして生きるようになった。

それから時が流れて今回の騒動である。各メディアでの扱われ方も大きく、見て見ぬ振りをし続けようとする事が無駄な抵抗だと悟るのに、さして時間は掛からなかった。そして騒動の中で必然的に彼女の私信を読む事になって私は胸を打たれた。それがあまりにもリアルなラブレターだったからだ。既婚者かつ三児の母親という立場で他所の男とあんな文章のやり取りをしてはいけないのは明白だが、それにさえ目を瞑れば、あの文章にはとてもピュアな心情が綴られているように感じた。彼女は人生で初めて本当に人を好きになったのかも知れない。中学生から芸能界入りして多忙な生活を送ってきたであろう彼女が思春期の若者なら当たり前に経験するであろう事を経験して来なかったとしても何ら不思議はないではないか。時と立場さえ違えば尊い経験だったハズなのに、今の彼女の立場では単なるバッシングの材料としかならない事が非常に悔やまれる。

繰り返しになるが不倫が良くない事なのは間違いない。だが、人を好きになる事自体は決して悪い事ではないハズだ。だからこそ想いを綴った私信を晒して嘲るような真似は止めませんかと私は言いたい。今回の報道は完全に一線を超えている。人の道にもとる。恋文も、排便も、全裸も、性行為も、どれもこれも他者に見せる前提でないモノをわざわざ晒すというのはやってはならない下衆の所業なのだ。かくいう私も交際期間中に配偶者に宛てて書いた数々のラブレターを保管されている立場だったりする。まるで人質のように。まかり間違ってソイツが衆目に晒されるような事があれば想像しただけで本当にほんとに、ほんとうに、生きていけない…。

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