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とにかく馬鹿にしたい。

周囲から笑われている…と思う人へ。

芥川の『鼻』を読んだことがあるだろうか。

端的にまとめてしまえば、以下のような内容である。

顎の下まで届くほどの長い鼻を持った僧は、その鼻故に周囲から嘲笑されている。弟子に箸で持ち上げさせなければ飯を食べられないほどの鼻。バギーもびっくりなデカっ鼻。
そんな僧は、鼻を茹でて、弟子に踏ませて、念願の短い鼻を手にする。
鼻の短くなった僧を見た周囲の人間は、嘲笑する。
寝ていると、僧の鼻が再び長くなる。これでもう馬鹿にされないぞと晴々とした気持ちになり物語は終わる。

…まあ、絶対馬鹿にされるけどな!!!

でもこれが人間の本質だろうと思う。
本文より引用。

人間の心には、互いに矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも人の不幸に同情しない者はいない。所がその人がその不幸を、どうにかして切り抜ける事が出来ると、今度はこっち何となく物足りないような気持ちになる。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くようなことになる。


不幸でいてほしいんだよ。
そうであることで、自分が優位に立てるのだから。


可哀想。大変だね、頑張って。

こうした言葉を吐き出している人間は、同時に可哀想(でも、そのままでいて。)大変だね、頑張って(でも、素晴らしい成果は出さないで)という感情を抱いているはずだ。
なぜなら、可哀想なあなたがいることで、自分が優位に立てるから。大変そうなあなたがいることで、自分の心が楽になるから。

「いえ、私はそんなこと思ってません!」という声が聞こえてくる。本当にそうなの?と問い返したい。可哀想、私がなんとかしてあげなくちゃと思っていた彼が出世して金持ちになったら以前までの魅力を見出すことができるのか。大変だね、頑張ってと声をかけた相手が、あなたよりも優秀な成績を出したとしたら?


朝井リョウの『何者』を読んでも思ったが、輝かしく見える者(精一杯努力している人も含まれる)を批判することで自分の優位を保とうとする人間は多数いるんだよ。
観察者として、周囲を批評することで自分の尊厳を保とうとする人間は大勢いるんだよ。

だから。

あなたが笑われる(批判される)のは至極当たり前のことだ。

そんなのにいちいち気にしていたらキリがないんだぜ。

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