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らしく

だいたい「らしい」ものです。猫は猫らしいし、犬は犬らしい。

猫は自ら「猫らしくあろう」としているのではないだろうけど、でも猫は猫らしい。猫にも個性はありますが、どんな猫でも猫らしい。ときに仕草や立ち居振る舞いが「なんか人間みたい」と言われる猫であっても、それこそが猫らしかったりします。

戦国時代、武術は殿様を守るためのものとして存在しました。つまりボディガードです。ディフェンスあってこそのオフェンスであり、オフェンスが最初にくることはありません。

ディフェンサーである武術家にとっての極意は「強そうにみえないこと」。いかに任務をまっとうするかを考えたら、これは大変重要です。いかにも強そうだったら、敵は警戒心を抱きます。

「戦っても勝てない」と思わせるほど強そうに見せる、というのいうのも一つの方法かもしれませんが、殿様の命を奪うためなら、敵は手段を選ばないでしょう。

敵の力をかわすためには強そうにみえてはだめです。いわゆる「武術家らしい」武術家は、その任務をまっとうすることが難しくなります。弱そうくらいで丁度いいのかもしれません。

しかし現代の感覚にどっぷりと浸かってしまっている私たちは、「らしく」なるのが普通です。普通ですし、それが悪いとももちろん思わない(むしろ男らしい、女らしいのは素敵なこと)し、それで目的が果たせないということも、おそらくあまりありません。

仕事による緊張とストレスによって「顔がこわばる」という男性の方がいらっしゃいました。つまり笑えない。

全身の治療と合わせて顔に鍼をして表情筋を緩めたところ、「笑顔を取り戻し、仕事も充実。自分らしさを取り戻すことができた」と、元気そうにおっしゃっていました。

このように、見た目と中身はだいたいのケースにおいてリンクするもので、健康な人は健康そうにみえるものです。笑いながら怒る、なんてことは竹中直人さんくらいしかできません。

読んでくれてありがとうございます。

神様の子である私たちは、自分らしくあれば、楽しく、うれしく、健康で、元気に生きていけるものだと思うのです。



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