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整形後にルッキズムが加速した女、かわいいについて考える

最近友達と遊んだ際、整形の話になった。
その時のことはここでもサラッと触れているのだが、思うところがあったため今回ちゃんと考えてみた。
サラサラサラ……

突然だが私は整形をしている。と言っても骨を切ったりするようなものでない整形(二重全切開、ほうれい線への成長因子注入)だ。

そんなの整形にカウントされない!そんな生半可なもので病んでルッキズムを語るな!という方はブラウザバック推奨です!させん!

そして、本文にも容姿に対する個人的見解が多く含まれています。あくまで私の意見ですが、当てられてしまうかもという方はそっと閉じてください。すみません!

考えたきっかけ

最近、友達と遊んでいる時に整形の話になった。

なんとなくの流れだったか、歯の矯正の話から発展したのか、友達からやりたい施術について相談を受けた。
施術済のため知識があった私は質問されたことについて話していたのだが、相場もリスクも知らない友達を見ているうちに、調べるほど本気で悩んでないのだなと相談に乗ったことを後悔した。

それもそうだ。贔屓目を抜きに、友達は美人なのだ。

一方、かわいくもなっていないのに情報だけはスラスラ出てくる自分…。

話が終わり歩き出すも、惨めな気持ちになり、歩いている途中に涙が出てきてしまった。

まさか友達の前で泣くとは思わなかった。
それはそれは友達は困惑していた。申し訳なかった。

そして思った。

そこまでコンプレックスになってたのか!?

自分の中でルッキズムが加速しているなと感じる。
早急にブレーキをかけるためにこのnoteを書く。


自分の中のルッキズムを洗い出してみる

・まず、整形をしている。

これはやってよかったなと思う。
眼瞼下垂かと思っていたぐらい腫れぼったかった瞼から脂肪がとられたことで、開けにくかった目が開けやすくなった。
過去に自律神経失調症の診断を受けたことがあるのだが、瞼が重いと自律神経失調症になりやすいらしいと医者から聞き納得した。開くの大変だもんね、目。

それまではかわいい系の服を着たくても顔に似合わないと思い諦めていたのだが、施術をし、着れる系統の服が増えたし、メイクが楽しくなった。

メンタルに変化があったのだと思う。体重がするすると減っていった。
整形をしたのは社会人1年目だったので、学生時代よりもホルモンバランスが落ち着いたなどの要因はあるとも思うが、大きくはメンタル的なことが原因だと思っている。変化する過程が楽しかったのかな?これについてはよくわかっていない。

ちなみに、二重幅はナチュラルめにオーダーしたので昔の友人たちは痩せたからかなとしか思わなかったらしい。

もっともっとと思ってしまい、ほうれい線への施術もした。結果的にはよかった。ほうれい線が目立たなくなったのだが、笑った時に口角が上がるようになった。

想定外のことだった。

口角が上がることは良いことだ。だけど、それがもし口角が"下がる"影響だったら…?

自分の下調べの足りなさのせいで想定外のことが起こったことに恐怖を感じた。

想定外のことが起こる状態までしか調べられない人間ということがわかったし、現状社会で生きていけるメンタルは持っているため、もう整形には手を出さないだろう。ほんとほんと!


・自己肯定感が低いため彼氏にかわいいと言われた数をカウントして反芻している。

これは、うれしいんだから仕方ない。
反芻して今日まで生きて来れている。神様仏様。

1人目の彼氏の時はかわいいと言えば喜ぶだろうから適当に言っていたのかと思っていたが、2人目の彼氏にも言われるようになり(本当に思って言っている…!?)と驚いた。しゃらくさい文章で申し訳ないが真剣にそう思ったのだ。

欲を言えばこの状態から自分1人の評価のみでもOKになりたい。

・コロナ禍が終わった今もマスクをつけている。

日による。電車内とか、全部出てるとブスだなーと思われそうでなかなか外せない。
今の時代に学生だったら給食の時間泣いてると思う。
会社の時は下顔面の化粧しなくてよくてラクだからまあいっかと思っている。

・人の目を見れない

見れない!こわいから!稀に見る

・街中の人の顔やスタイルを評価してしまう

これほんとに、よくないなーって、思うんですけども、かわいい子見るとふむふむって研究する気持ちで見たり、病んだり。似た体型の人を見ると、でもかわいいから自分も大丈夫だよねと安心する。
人にはかわいいって思うんだけど自分だと絶望してしまう!ハムスターとかになりてェ〜〜〜〜

考えられる原因①学生時代のいじめ

原因は小学校高学年の時に1人の男子からブスと言われていたことにある。
他クラスだったのだが、すれ違うたびにブスと言われ、その度に近くにいた友達が言い返してくれていたのだが、なるほど、確かにそうだなと思うようになるには十分だった。

幸い友達は多かったため、別に学校生活への支障はなかったのだが、今となってはそんなものノイズでしかないから先生にチクって早く辞めさせろと思う。

まあ、当時はなんてことないふりをするのに必死だったのだ。

あと、1年生と6年生がペアを組むという取り組みがあった。
6年生が並んでいる1年生の中からペアにしたい子を選ぶのだが、なんとそれに学年のガキ大将とともに最後まで取り残されたのだ。

今考えるとやばくない?やっぱり整形をしたのは正解だと思えてきた。恐ろしい。なんというトラウマ。

考えられる原因②SNSの発達

私の中の「もっとかわいくなりたい❣️」という美意識と「アタシはバケモノ…」というコンプレックスを同時に刺激してくれるツールだ。

高校生の頃にダイエットの情報収集・発信のためのアカウントをTwitterに作成した。今でもそのアカウントの運用は続けている。

ためになることもあったし、一緒にがんばれる仲間がいるのはよいことだと思う反面、知識がつきすぎてしまったな、と思う。

人中や蒙古襞、奥目出目等という言葉など知りたくなかった。知っているからこそ垢抜けられることもあるとは思うが、現代、情報が多すぎない?
そして情報も手軽に手に入りすぎる。たまにおすすめに学生の子の病みツイが流れてくるのを見ると胸が痛くなる。

ずっと彼氏がいなかったのも自分をブスだと思うのを後押ししてたな…。メガネのデブだったし…てかこの思考こそがルッキズムなんだよなと思う。メガネのデブだからなんだ?裸眼のガリならいいのか?なんだっていいじゃない。そうか!

己の敵は己なのだ!

しのう…!!!

加速するルッキズム


整形を経たことで自己肯定感も上がったが、知識も増え、見た目に対しての審美眼が厳しくなってしまった。

整形すれば自己肯定感が上がって平穏になれるかなと思っていたが、次に湧き上がってきた感情は整形したのにブスな私って…だった。

無意識的に、もっともっとと追い求めてしまっているみたいだ。

写真は明らかに今の方が盛れているし、マッチングアプリのいいねも増えたので、アプデはされたに違いない。それでも満足できないなんて、我ながら欲深いなと思う。

目指す「かわいい」像

彼氏や友達に言われる「かわいい」は、「かわいい(容姿が)」ではなく「かわいい(包括的)」なんだろうなと思う。性格とか仕草とか喋り方とかひっくるめてのかわいいってことね。

そして、私が好きなYouTuberや友達に感じる「かわいい」も「かわいい(容姿が)」ではなく「かわいい(包括的)」なんだろう。

なるほどなるほど。そう思えば安心。
とはいえ、かわいい女の子を見て湧き上がるかわいい❣️という感情は捨てたくないし、できる範囲で自分の容姿磨きは続けるつもりだ。

だって、そのほうが自分サイコー!ともっともっと思えて楽しいに違いないからだ。

ありのままの自分でもサイコー!といつでも思えればいいのだが、残念なことに私はまだその境地に達していない。

とはいえ、理想と現実に乖離がありすぎると、ハードルが高すぎて心が折れてしまう。

最近の私はかわいいの基盤を「自分が納得する、万人受け寄りのかわいさ」に設定していたのだと思う。
当然基盤はボロボロだし、「自分の資質」ではカバーしきれない。

そうでなく、かわいいの基盤を「自分の資質」に設定するのはどうだろう。
そしてそこにいいなと思ったものをつまみ食いのように取り入れていくのだ。

さながら、水の張ったボウル(自分の資質)にぽんぽんとお花(摘み取ったかわいい)が放りこまれるようなイメージでこれを書いている。

整形前の私は後者だったのだろう。
そこから何らかの拍子に前者になってしまった?

ああ、なんだか、書いていてよくわからなくなってきた…。
目に見えない曖昧なものなので、この発見も覆る日がくるのかもしれないね。

ルッキズムについての本だって読んでないし、完全憶測で書いている。ボディポジティブは少し齧ったが心が晴れず…でも、すてきだと思うし、もっと知りたいと思う。

かわいいってなんだろう、犬猫は等しくかわいいけどね、国によっても変わるし、なんなんだろ、マスメディアと時代と流行りのあれこれなのかな、猫はずっとかわいいのにね。でもかわいいって概念私は好き。かわいい服とかかわいい小物とかかわいい仕草、ときめく。

これからも大切な人たちからもらった言葉を大切にして、この世のかわいいをつまみ食いしていくぞ〜!

そして、いつか「オンリーワン!」と思える日が来ますように。

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