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【企画参加】勝手に決めないでほしかった

「あなたの反抗期の思い出 教えてください」

こちらのかすみさんの企画に参加させていただきます。

「企画参加」、まさかの連続投稿になりました。
締め切りギリギリに宿題を出していた懐かしい学生時代を、しみじみ思い出しています。




かすみさんの企画を知り、参加された方の記事も読ませていただきながら、自分のことをずっと思い返していました。

私に書けるだろうか。

私の反抗期はいつだろう?
どれが反抗期だったのだろう?
そもそも反抗期があったのかな?

少し苦味を感じますが、書いてみようと思います。



小中高の学生時代、考えてみれば目立った反抗期のない子だった。
生真面目で気を遣う性格だった私は、内側には思いがあっても、それをぜんぶ押さえてしまうところがあった。


親に口ごたえする代わりに黙り込む。
それは、母の影響が大きかった。
母は口ごたえを許さない。
叱り飛ばして、それから数日間でも口をきいてくれなくなるような人だった。

普段は優しいのだが、子どもを自分の思い通りにさせようとするところがある。
特に身につけるものには、強いこだわりがあった。


母は、なんでも勝手に決めた。
例えばランドセル。
私はみんなと同じ、ツルツルの赤いランドセルがよかった。でも母は私に何も聞かず、表面がざらざらしたなめし革のランドセルを与えた。しかも朱色。

「これは本革のいいやつだからね。」と。

そんなランドセルの子は、クラスで私だけ。
それが、ものすごく嫌だった。


洋服も、母好みのものを私たちに着せた。小さな頃は、母の手作りの服は嬉しかった。
小学校高学年になると母も働き始め、手作りから既製品に変わっていく。
実は、既製品に憧れていた。理由は、母の作る服にはどれも母が縫った小花の刺繍があり、それがちょっと恥ずかしかったから。

私はふわふわのスカートが欲しかった。でも母は、妹とお揃いの上下デニムのパンツスタイルのものばかりを買ってきた。そして、それにもすべて花を刺繍した。

「やっぱりお母さんが選んだ服が1番可愛いわ。こんなきれいな刺繍をしてる服は、誰も持ってないよね。」

可愛らしいが、それは母の好みだ。私はちっとも嬉しくなかった。
だから、学校の体操服を好んで着ていた。


中学生になっても、母が私の服を買ってくる。さすがに服に刺繍はしなかったが。
でも、自分で選びたかった。
一緒に買い物をしても、母の好みを勧められ、私の好みは無視された。
それがすごく嫌だった。



中学3年生だっただろうか。
母に泣き叫んで怒った記憶がある。


母が買ってきたピンクの上着。トレーナーのような素材で、前開きのものだった。
当時の私は、モノトーンの物に憧れていた。なのによりによって、安っぽい色のピンク。
滅多に服は買ってもらえないのに、なんでこれを選ぶんだろう。

「こんな物いらない!勝手に私の服を買わないで。」

と、服を床に叩きつけてわーわー泣いた。

それ以来、母は服を勝手に買わなくなった。
でもそれはただの一回きりの反発。
反抗期とは言えないかもしれない。

それ以降も、母は私を気遣うような素振りはまるでなかった。いつも通り、自分の描いた時間枠や、自分の好みの枠の中に、子どもたちをはめ込もうとした。




洋服は勝手に買わなくなったが、成人式の振袖も、私が見てもいないのに母が勝手に決めてきた。

結婚の嫁入り道具のタンス一式も、もちろん勝手に決めた。私の好みや、結婚したら住むアパートの間取りなど、母は全く考えていない。

「これ、やっぱりいいタンスやわ!あんた、親にちゃんとしてもらえて、幸せやね。」

と、母は惚れ惚れしながら自分の選んだタンスを愛でる。そう言われたら、「ありがとう」しか、言えなくなる。

母が勝手に選んで決めることにウンザリしていた。
しかも「やってあげたから」と言われることに腹が立った。
でも親の気持ちはありがたくて、高い買い物が申し訳なくて、結局何にも言えずに胸に不満をしまい込む。

良い子を演じた。


結婚して実家を出たときは、ふーっと気持ちが楽になった。
やっと、すべて自分で選べると。


母もきっと、祖母からそんな風にしてもらってきたのだろう。それが正しい愛情のかけ方だと思い込み、当たり前のように私や妹にも、祖母のそれを真似た。

それに私の時代は、親が勝手に決めることが、あまりめずらしいことではなかった。多かれ少なかれ、親に勝手に決められた経験は、同世代ならば誰しもあるように思う。


母は進路や恋愛、私のやりたいことには、あまりとやかく言わない人だった。それはありがたいと思っている。
母のことは好きだし、母が私を愛してくれていたのもわかっている。

でも、しんどかった。

今になって考えると、母は子どもを自分好みに可愛くコーディネートしたかったんだと思う。

まるで自分のお人形のように。



私は自分の子どもたちのことは、洋服一枚でも勝手に決めない。なるべく何でも、自分で選ばせるようにしてきたつもりだ。
遊ぶことも習い事も、進路も、結婚も。

でも、もしかしたら、自分の価値観を押し付けるようなことを無意識にしたかもしれない、と最近になって思う。


考えてみれば、母も良かれと思ってやってくれたことばかり。
この歳になり、少し母を理解できるようになった。

すべては子どもを思ってのこと。



昨日、母からの電話のときに、私の反抗期について訊いてみた。

「あんた、学生時代はいつもふくれっつらばかりしてたから、あれが長い反抗期かねぇ。」と。

えー!あったのか!私にも反抗期が。



*****

かすみさん、書いては消しを繰り返し、長い記事になりました。

私は20歳の頃、拒食症になりました。たぶん、原因は過度のストレス。
病院にも行かなかったので、はっきりした原因もわからないままですが、母親との関係にも何か問題があったのかなと思います。母と離れて暮らし、気がついたら身体がぷくぷくしていました。

気を遣い過ぎずに「自分」を家で出すこと、出せることは、大切なんだろうと思います。

ずっと考えないようにしてきた私の過去に、ぐーっと向き合うきっかけになりました。
おかげで、当時の母の不器用な愛情を、やっと少し受け入れられそうです。


素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございました。







最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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