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鬱を抜ける旅〜絶望が趣味なんです〜

鬱って、抜けるものじゃなくて「やめる」ものかもしれません。

近頃、わたしの鬱の本質に気づきました。

「こんな世界は生きる価値がない(絶望感)」と強く思い込んでいることが鬱の根本的な原因なんだと思います。

なーんにも、辛いことなんてないのに急に苦しくなる原因。

それはやっぱり、何気ない日常を「生きる価値ない」と捉えてるからだと思います。

そんな悩みを、アドラー心理学のフォロー会で話してみました。

付けられたタイトルは題して、「若者の絶望感」。
そう言われるとちょっと軽くなります。

そう、深刻に悩むわたしに反して、聞いてくれる人たちはみんな「あー絶望しちゃってるのね」くらいのテンションで聞いてくれました。

そこで言われたのは、「自分で自分の勇気をくじかなくていいんだよ」ということ。

あーたしかに、自分で絶望する思考回路にスイッチ入れてるなぁと。

アドラー心理学は目的論ですので、「嫌なことがあったから落ち込む」のではなくて、「なにか目標を達成するために落ち込む」と考えるのです。

一つひとつ、紐解いて考えてみると、わたしが夜になると落ち込む原因は、ハッキリと「自分はいい人に出会えない、結婚して幸せになる未来がない」と思っていたからだと思います。

おっといけない、これだと原因論っぽい話し方なのでアドラー風に言い換えます。

「いい人に出会って結婚して幸せになる未来のために、今絶望して何かを得ようとしてる」ということです。

こう整理すると、「今絶望して、本当に何か得られるものある?」って素直な疑問が湧きます。

いい人に出会って結婚して幸せになりたいなら、今すべきは絶望じゃなくて、キラキラした理想を追い求めることだと自然に思えてきます。

わたしは無意識に、目的のための手段を間違っていたんです。


わたしが鬱になる原因

そしてこれがわたしの鬱の原因の一つで、「うまくいかないと絶望してこの場をやり切ろうとする」という癖がわたしにはあるようです。

これをアドラー心理学的には「絶望することが趣味な人」と言います。

はい、わたしは絶望が趣味なんです、、。

否定しきれません。

絶望をやめたいと言いながらも、絶望以外の手段で今を受け止める方法を知らないんだと思います。

どうやって絶望をやめて、鬱になるのをやめられるの?

こんな疑問が自然と湧いてきます。

この答えは状況によって方法が変わるんですが、いくつか挙げてみると

・未来に絶望した時は、ワクワクする未来を考えてそれに浸る
・嫌なことを言われて絶望した時は、「また成長するチャンスをもらっちゃったな」などと捉え直す、また、嫌なことを言う人とは距離をおく
・例えば海を歩いてる時、ゴミはたくさん落ちてて足元にまとわりつくけど、ゴミの方ではなくお魚を獲る方に集中する

など、絶望にフォーカスするのではなくて希望にフォーカスするよう工夫することで「絶望が趣味」をやめられます。

と言っても、趣味なんだから、好きでやってる一面もあるんですよね。

好きというと語弊があるんですが、安心するためについ絶望しちゃって、それで結局辛くなってるみたいな。

だからふとした場面で、例えば1日の終わりの帰り道とか、ホッとするはずの何気ない時間に鬱になっちゃうのは、ホッとする手段に絶望を持ってきてる自分がいるからなんですよね。

なかなか急に止めることはできないんですが、だんだんと「絶望することに意味はないな」と気付けてきました。

意味ないことはしなくていいや、と思って自然と絶望をやめられそうです。

鬱をやめるポイント

鬱をやめるには、「絶望を使わなくなる」ことが必要だとこれまでの話でわかりました。

そのために、日常の中で絶望を使おうとしたら「今、絶望を使うことに意味はある?」と聞いてみることが鬱をやめるポイントです。

自分から鬱をやめていくんです。

この発想、最初は受け入れにくいかもしれません。

でも、だんだんと染み付いてきたら「あ、意味ないじゃん」と気付けるようになります。

これをすると、自然と嫌なことにしがみつきたくなっちゃう自分がいることに気づくと思います。

その意味のなさに気づいた時、それが鬱をやめる時なのです。

でも、すぐにできなくて大丈夫。だんだんと、できるようになっていきましょう。

辛い時はいつでもわたしに声をかけてください。

それでは、またね。

いつも本当にありがとうございます!いただいたサポートは大切に使わせていただき、作品として還元いたしますのでお楽しみに!!