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結婚は幸せを前提に作られていない。

結婚の話をよく聞くようになりました。結婚している人は立派で、結婚していない人はダメという価値観。例えば、その理屈でいうと武井壮は間違いなくダメ人間になりますし、付き合って3年以内に結婚しないなら失礼というのであれば、学生時代から10年以上付き合って結婚した滝沢秀明はゴミということになります。まあ、ナンセンスですよね。だいたい結婚なんて、まずするかしないかは本人たちの自由なはずなのに、なぜ恋愛至上主義がごとく資本主義市場で結婚が叫ばれるようになったのかを、ここで説明しましょう。

自分が就活したときですが、企業側が「結婚はうちは平均29歳」と堂々と宣伝してきたのを覚えています。なぜ、企業側がそこに入社するかもわからない学生たちに向かってそういうことを堂々と言うのかですが、これにはちゃんと理由があります。例えば、収入が年400万の人と300万の人とが結婚したら、世帯収入は700万になります。結婚すると社会的信用が高いとされている理由として、この世帯収入の増え幅があるわけです。「700万の法人」のような見立てですね。ここに住宅ローンや金融商品、教育ローンなど、高額金融商品をつけやすくなる。つまり、継続して返済していかなければならないものを宣伝して実際に契約してもらう大学の授業料もこうした料金モデルに沿って高額化しました。すると、新しく出来た世帯同士が、社会的な比較に追いやられることになります。「あの世帯は〇〇していて、うちは〇〇していない」という感じです。要するに、会社員世界の延長線みたいなものが、延々と続いていくわけですね。こうやって振り回されているうちに、次はもう60、70歳になってしまい、「もう何も出来ない」となって死んでいく。実際に、これは孤独死とかよりよほど怖い現象です。ローン漬けで人生生きながらにもう死んでいるようなものですからね。よほど両方とも賢い人でもない限り、夫婦どちらかの意見に妥協して、片方に合わせるという風になってしまうわけですから、ラットレースのような状況がずっと続いてしまうわけです。

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