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【ショートストーリー】クロノスタシス

「ただいまー」
アパートの4階まで階段で上がり、雑貨屋さんで買ったゆるい白くまのイラストが可愛らしいアイボリーの肩掛けのトートバッグから鍵を取り出す。ガチャッすぐに履いていた5cmのブラックの太いヒールのサンダルを脱ぎ捨て、スリッパを履いて部屋に上がる。

「今日も疲れたなー」独り言を言いながら前の家から引越すついでに奮発して買ったベロア生地のモダンなピンクのソファにバッグを置く。

8月の終わりの夜、風は無くジメジメとしていて、外の空気はポットが沸騰する前の75℃のお湯を入れてしまったカップヌードルのように中途半端で生温かった。駅から歩いて10分もしていないのに汗がねっとり肌についていて、すぐに服を脱いで洗濯カゴに放り投げ、シャワーを浴びた。

「もう10時半か」
アパレル店員である私は締め作業もあり、遅番の時はだいたいこのくらいの時間に帰宅する。シャワーを浴び終えてさっぱり、簡単に今日の疲れもごっそり取れたような気がした。

キャミソールにショートパンツとルームウェアとまでは呼べない部屋着で、つけ忘れていた27℃の冷房をつける。冷凍庫を開ければ大好物のアイスがずらり、今日は青のジャイアントコーンを食べよう。冷房が効いてきたところで一年中使っているパープルの毛布に濡れた髪のまま体ごと包まる。まるで毛布の中は秘密基地のよう、ここは星の無い私だけの宇宙だ。

秘密基地でジャイアントコーンを開けようとした途端、LINEの通知。
付き合って1年と2ヶ月の下北沢の居酒屋で出会った3つ上の彼からだった。電車で6駅の場所でお互い一人暮らしをしている。わざとにしたら微妙な距離だが、偶然にしては近い。

「仕事終わり?もう帰っちゃった?」

「もう家だけど、どうしたの?」

「俺んちで宅飲みどうかなって思ったんだけど。早めに連絡すればよかった。家ならいいや」

「いや、明日休みだし暇だしいくよ!シャワー浴びたばっかりだから支度してちょっとしたら向かうよ」

「俺のワガママで悪い、先につまみ買っとこうか?」

「いや、大丈夫、一緒に買いに行こうよ」

「そうしようか、じゃあ駅で待ってるからまた連絡頂戴」

「ホーイ」

そそくさと秘密基地から抜け出し、ドライヤーを手に取り髪の毛を乾かす。いつもなら一度家に帰った後の誘いは断ることの方が多かったが、明日休みだからなのか、彼からの呼び出しだからなのか、今日はなんだか気分がいい。

彼氏の家に行くだけだしTシャツにガウチョにサンダル、化粧も下地を塗って眉毛を書いて、赤いリップを塗り、身なりは最低限でいいや...そう思ってドライヤーで髪の毛を乾かしていると、姿見に映るキャミソール姿の私と目があった。広告のモデルとは対照的に、一般人の私には色気など全く無く、似合ってはいなかった。

「二の腕はぷにぷにだし、胸も自慢できない大きさだ...家だし別にいっか」

ある程度髪の毛の水分は飛び、ドライヤーのスイッチを切り、着替える前に先にメイクをはじめる。10分もかけずにメイクをシンプルに終えると、ロッキンで買ったオフィシャルの白のフェスTシャツに黒のガウチョを履く。
ポールスミスの長財布にiPhone、Airpods、メイクポーチ、定期券であるSuicaを持ち、友達が誕生日プレゼントで買ってくれたAesopのハンドクリームが入っていた巾着を手提げ代わりにして、彼の元へ出かけよう。

「あ、剥げてる」サンダルを履いた時、足の爪に施した赤いペディキュアがところどころ剥落していたことに気が付く。夏場は毎日同じ5cmの太いヒールのブラックのサンダルを履いているのに、毎朝家を出る時は足元を気にしておらず、全く気がつかなかった。

「いつもボルドー系の赤のマニキュアを塗ってたんだけど、2週間ぐらい前夏だからって手も足のネイルをラメ入りのネイビーとゴールドに変えたの。
でも、ずっと赤系のネイルをしていたからネイビーはどうしてもしっくりこなくて、真っ赤に戻しちゃった」

「赤の方がパキッとしてて俺はいいと思うよ」

そんな会話をつい4日前にした。彼に見せた時の少し重めの赤い単色のペディキュアは、アクセントクロスのように完璧なペンキの塗り方だったけど、ほんの数日で今は雨風にさらわれたトタン屋根のように剥がれしまった。
マニキュア取れてるって笑われないかな、でも、彼とは一緒に笑うことがあっても、欠落しているところを笑われたことは無いから、大丈夫か。

「家でた、今向かうね」LINEを送り、家の鍵を締める。
一軒家がズラリと並んだ人気のない住宅街の路地裏をスキップして向かう。誰もいないし、一応都内だけど都会には全く見えない田舎、いい歳をした大人が真夜中にスキップしてても都市伝説で終わる。何より彼に会えるのが単純に嬉しい。最寄駅までは歩いて大体10分、電車に乗って彼の家の最寄までは大体15分。そこから歩いて大体15分。水曜日の夜の駅は、それほど混んではいない。

(♪渋谷駅は今日もうるさい〜〜)

私が足に塗るマニキュアを赤にしていたのはMy hair is badの「卒業」が好きだからからなんだよな。

ボーッとしていたら次の駅が彼の最寄だ。

 「次つくよ」
「はーい」

この車両から降りたのは私含めて大体3人、駅のホームには10人もいないかもしれない。この電車自体の利用者数は多くもなく少なくも無い。

改札内から彼の姿が見える。手を振った。

「お待たせ」

「こっちこそ急に悪いね」

「ううん、それより明日仕事じゃなかったっけ。」

「コロナのせいでシフト減らされて急にオフになった。仕方ないね」

コーヒースタンドで働く彼はグラフィックデザインも得意で、コーヒーを淹れる傍ら、フリーでWebサイトを運営したり、フライヤーのデザインなど知人の仕事を手伝ったりしている、都会人の中でも典型的な都会人だ。

「家に何ある?」

「飲み物は麦茶とコーヒーはあるけど、飯はマジで何にもない、趣味のものはPCぐらいしか。あ、小説はちょっとある」

「ネトフリとか登録してるの?」

「してるよ、Huluも登録してたけど今はU-NEXTだけ見てる」

「じゃあ映画みよ」

「いいよ、見たいのある?」

「サスペンス?三角関係?なんか、お前が犯人だったのか!てなるやつが好き。衝撃のラストっていうの?カメ止めみたいなB級もアリだけど、ああいうのって渋谷の老舗のコアな映画館でしかやってないのかなあ」

「お、もっとこい」

「え、B級好きなの?」

「詳しくないけど面白いじゃん、インド映画みたいなすぐ踊る奴」

「インドみたいなってインドに失礼!知ってる?インドって宗教が厳しくて結局ダンスぐらいしか映画で取り入れられないだって」

「まあまあ、わかった、とりあえずいろいろあるから帰ってから決めよう」

「そうしよう!」

そういえば彼とは居酒屋だったり古着屋廻りだったりで、一緒に映画を見に行ったことないかもしれない。11時半を回れば田舎のスーパーはどこも明かりがついていなく、丸い青色が光るいつものローソンに辿り着いた。

「俺、一服してくるから先決めていいよ」

「わかった、適当にカゴに入れておくね」

350mlの缶ビール4本、氷結のレモン2本、パックの緑茶1本、コンソメポテチ、冷凍の枝豆、ジャンモナ、スイカバー、ハーゲンダッツ...と大好物のアイスを放り込んでいると、横からジャックダニエルが入れられる。

「ロックで飲むの?」

「いや、ハイボールにする」

「炭酸は自分で持ってきてくださーい」

「ハイハイ、ウィルキンソンとロックアイス。...こんなもん?おつまみ足りる?」

「生ハムとチータラ入れ忘れた!待って!」

店内には私たち2人と店員しかいない。レジにカゴを持っていく。

「いらっしゃいませ」

「あと...26番1箱ください」

「かしこまりました」

「いつもと違う銘柄だけどいいの?」

「今日後輩に一本もらって、気に入ったんだ」

2人分にしては多いのか少ないのか、合計3126円。

「Suicaで」

「ありがとうございましたー」
「後でお金払うね」

「荷物持つよ、お代は結構、今日は俺が呼び出したから俺の奢り」

「マジスカ!ゴチデース!ていうかビール飲んでいい?」

「もう飲むのかよ(笑)はい。」

「ありがとう」

プシュッ 
グビグビ。夏の冷えたビールは一層美味しい。CMのような飲みっぷりだ。

「ビール飲まないの?」

「帰ってから飲む」

「ねえ、クロノスタシスって知ってる?」

「急に何、知らない。ゲシュタルト崩壊的な?」

「近いかも。時計の針が止まって見えることのことをクロノスタシスっていうんだって」

「へえ、はじめて知った。でも、仕事でも飲んでてもそんな話にならないでしょ、何で知ってるの?」

「今は活動していないけどきのこ帝国っていうバンドの曲。夜中にコンビニで買った缶ビールを飲みながら歩く歌」

「きのこ帝国初期は聴いてて途中から聴かなくなったけど、そんな曲あったんだ。」

「この曲は結構有名かも。『コンビニエンスストアで350mlの缶ビール買って』ていう歌詞があるんだよ。『夜の散歩』って歌詞も好きだし、『時計の針は0時を差してる』っていうところも...この曲の全部好きだな...夏をますますエモくさせる曲...」

「きのこ帝国なら『春と修羅』はよく聴いてた」

「あいつをどうやって殺すか考えるやつね。あの曲のトゲトゲした殺意すごいよね。金属バット振り回す夢〜」

「「あ〜なんかぜんぶめんどくせえ!!」」

「「あはは!」」

「近所迷惑だね(笑)あ、ビールこぼした!」

「あ、俺の服で手を拭くな!」

広い道路をふたり歩く。ポツン、と照らす街灯が、ふたり分の影が伸び揺らす。

「あー、この感じ、どう考えてもクロノスタシスの世界!」

「もう酔ってるの...」

「仕事疲れたんだよー疲れてると酔い回るの早いね。立ち仕事3年やっても5連勤の疲れは慣れないね」

「仕事してると時間すぎるの遅いけど、こうやって呑んでたり遊んだりすると一瞬で時間が過ぎるのなんだろうな」

「ね、同じ時間なのにね。部活してた時とかあの時は外周を顧問が飽きるまでやらされて拷問だったけど今思うと一瞬だったな」

「確かに、今でもちゃんと部活打ち込めばよかったってたまに思う」

「そういえば中学生の夏休み、当時宗教レベルでBUMPが好きで同じクラスのバンド好きだったグレてはないけど先生には目をつけられていたちょっと悪い友達と午前2時ぴったりに踏切行こうと思って、親に内緒でこっそり家でたらめっちゃ怒られたことあるんだよね」

「望遠鏡持ってなくて友達に怒られた、じゃないのか」

「いや、ただ午前2時に踏切行って本当の天体観測じゃない、曲の天体観測をしたかっただけ」

「まあ、そりゃ夜中に家でたら親は怒るでしょうよ」

「..あれ、この公園に時計なんてあったっけ?学校でしか見たことない」

「本当だ、俺も気がつかなかった」

「公園に時計ぐらいあるか。東北の震災の時さ、この時計のっぽ時計って呼んでて、学校にあったこののっぽ時計がグワングワン歪んでて、折れるかと思ったよ」

「大変だったよね、俺も震災の時は高校で部活してた時だった。部活してた女子みんな泣き出したり、先生すらがパニックでとにかく異常だった。9年前とか信じられないな。ずっと3年前ぐらいの感じがする。」

「わかる、まだ数年前。こうしてもう何年前って言いながら歳を取ってくんだね」

「そういう意味でも俺らは時が止まったまま生きてるんだな」

「あ、ほら時計見て、やっぱりクロノスタシスだ」

公園にひっそりそびえ立つ時計の針は、0時を差していた。




蒸し暑くなってきましたね、今回はいつもの夏夜が一段とエモーショナルになるきのこ帝国の「クロノスタシス」をメインに書いてみました。
きのこ帝国・佐藤千亜紀さんのソロ「Summer Gate」My hair is bad「卒業」BUMP OF CHICKEN「天体観測」も参考にしたり取り入れたりしました。
ネイルでは定番の赤色の足のネイルも「剥がれかけた赤いペディキュア」であったり「爪の色 真っ赤に戻したの」だったり、人によって様々な表現をされてて素敵。


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