【2022年No.1神アニメ】サマータイムレンダについての考察
サブスク解禁されて一気見してしまった紛れもなく2022年No.1神アニメ。そんなサマレンを見ていて気になったことがある。
ヒルコ洞のしめ縄が出雲大社と同じなのは何故か
このアニメは島に代々継がれるヒルコ伝承が元となっている。
ヒルコはイザナミ・イザナギ夫婦が初めて産んだ神の子だが、ヒルのようにふにゃふにゃの不具な状態で生まれたため、両親の手で島に流されてしまった不遇の神であり、恵比寿さまのルーツである。
慎平らが潜入したヒルコの洞窟に大きなしめ縄があったのだが、これが出雲大社と同じデザインなのだ。
気になった理由として、ヒルコ伝承と出雲大社は逸話からするに一見無関係なのだ。
出雲大社は神在月と呼ばれる全国の神様が一斉に集まるという言い伝えがあるので完全に無関係と言う訳ではないが、それにしても関連諸説などは残されていない。
もし関連づけるとすれば同じ近畿エリアの三重の伊勢神宮と似せるはずだが、伊勢神宮にはしめ縄が存在しない(特別こうした結界を張らなくとも神様の力が強いということらしい)
だが「かっこいいから」というだけでしめ縄のデザインをまんまコピーするのは違う気がするので、その意図を読み取りたいと思う。
蛭子命(ヒルコ)と天照大御神(アマテラスノオオミカミ)
ヒルコは恵比寿さまと同等の神であるという点で、商売繁盛や豊漁を、言わずと知れた出雲大社は大国主大神(オオクニヌシ)を御祭神とする縁結びのご利益がある。
最終話、シデを倒し慎平が戻った世界では、劇中の日都神社の御祭神が「蛭子命」から「日天照大神」と、神の最高位である天照大御神(アマテラスノオオミカミ)に変わっているのだ。
このアマテラスが鎮座している神社がかの有名な伊勢神宮、そしてこのアマテラスと深く関連しているのもかの有名な出雲大社である。
謎多き神・ヒルコの伝承を辿るのではなく、アマテラスを主体に掘っていけば関連するのでは?と考えるのが一番いいと仮定する。
諸説はいくつかあるが、有名なものをピックアップ。
ヒルコは「蛭子」の他に「日る子」と書けるため、もとは太陽の神だったという説
アマテラスの別名がヒルメなので、ヒルコは太陽の男神の可能性があった
イザナギノミコト・イザナミノミコト夫婦が①ヒルコ②淡島③アマテラスの順に産んだという説や、イザナギが禊を行った際に左目から生まれたのがアマテラスという説がある。どちらにせよヒルコとアマテラスは同じ血筋の兄弟/姉妹だった
古事記と日本書紀で生まれた方法や順番・名前は異なるが、どちらもヒルコは異形児として生まれ、不遇な対応をされたことは共通している。
補足:2番目に産んだ淡島(アワシマ)も障害があったそうで、子としてはカウントされなかったそうだ。
なので、イザナギ・イザナミ夫婦が子としてカウントしたのは3番目のアマテラスが最初である。
対極だった出雲大社と伊勢神宮
この記事を書くにあたり、面白い記事を発見した。
簡潔には「出雲大社と伊勢神宮は本来一つだったはず」というもの。
古代、大和政権が支配していた時代に大和(現在の大阪府)を基準に見ると、太陽が昇る東側を生、沈む西側を死とした場合、東にある伊勢神宮(現在の三重)は生や清めを、西の出雲大社(現在の島根)は死や穢れを現していた、という話だ。
1700年代でもその考えが残っていたとすれば、ハイネの洞窟にある出雲大社と同じデザインのしめ縄は間接的に死/穢れを現していると捉えることが出来る。
波稲と鯨とハイネ
劇中で根津さんが話した通り、沿岸部ではえびす信仰と呼ばれる漂流物を神聖なものや神だとする風習があるそうだ。
300年前、クジラに扮したヒルコをハイネが触ってしまったことが”影の病”の始まりなのだが、ハイネは漢字で「波稲(はいね)」と書き、この漢字から読み解けるものがある。
出雲大社から1km程先に「稲佐の浜」と呼ばれる国譲りの神話の舞台となった海がある。ここで神在月に神様をお迎えにあがる「神迎神事」という儀式を行うそうだ。
稲佐の浜の鯨島
生き物のクジラではないのだが、もともとこの海岸には「鯨島」と言われるクジラのような姿をした岩礁があったそうで、現在は砂浜に埋もれてしまったそうだ。(上記URLはこの岩礁を発掘するイベントのレポートである)
これらからハイネのモデルは出雲大社の伝説をもとにしたと推測することが可能だ。
三種の神器「八咫鏡(やたのかがみ)」
一方、伊勢は伊勢でこのような伝説がある。
八咫鏡(やたのかがみ)はアマテラスが岩戸隠れの際に使用したとされる大きな鏡で、アマテラス自身が「自分の魂を鏡として祀れ」と言ったんだとか。
後に鏡となった天照を祀るために鏡と共に旅をしていた倭姫命(ヤマトヒメのノミコト)が伊勢を訪れた際に、アマテラスが「伊勢の波は美しいから此処に住みたい」と言ったという逸話がある。そのため八咫鏡は天照の神体とされている。
ちなみに、この八咫鏡の前身(試作品)である日像鏡/日矛鏡が和歌山の「日前宮」に奉納されている。
伊勢の夫婦岩
伊勢神宮の近くに夫婦岩と呼ばれる名勝がある。
ヒルコの洞窟とサイドの岩をしめ縄で結ぶという構図が合致するので、出雲大社と伊勢神宮をミックスしたのではないだろうか。
まとめ
ヒルコの血筋であるアマテラスと関係がある
古代の価値観に当てはめ、大和国(現・大阪府)を中心に東に位置する伊勢神宮が陽/生/清め、出雲大社が影(陰)/死/穢れだとすると、ヒルコは不遇の神なので穢れのグループに属すのが妥当
伊勢神宮も出雲大社も同じくアマテラスに関わりが深いが、単純に出雲大社の方が創建が早かったため出雲大社をメインのモデルにした
(既に日本最古の書物・古事記に創建に関する記載がある)アマテラスは現世を見守る最高位の神様、オオクニヌシは国譲りによって現世からは退いた幽世(あの世)を司る神様とされている。
ヒルコは神なのでこの世である人間界に生きるものではなく、人を食う目的も故郷に帰るスタミナをつけるため(人間の姿を借りても故郷に帰れなかったんのはシデに利用されていたから)
ヒルコと血筋の関係であるアマテラスと縁があり、かつあの世を司っているオオクニヌシの力を借りて故郷に帰ろうとしたため、出雲大社と同じしめ縄にしたのではないか?と推察慎平、潮、ハイネらは右目のみを取ったりつけたりしている点で共通しているのは、イザナギの右目から生まれたのは月読命(ツクヨミ)という月の神。
ツクヨミは影が薄く、日本書紀や古事記にはあまり登場していていない。
慎平らの活躍によってヒルコを故郷に帰すことが出来たが、シデを討伐した後の島の様子は人々の記憶から消されているため書物などの記録に残すことが出来ないという点では、ヒルコが存在していた時期を陰、ヒルコ伝承が無くなりアマテラスが祀られてからを時期を陽とすれば、影の勇者である慎平らとツクヨミは似たような境遇なのかもしれない。
また単純に左目から生まれたのがアマテラスとスーパーキャラだったので、消去法だったのかもしれない。
以上が見解であり、一個人の考察である。何か思いついたら追記します。
こうしてしめ縄を作ったりハイネが住めるようにしたのはおそらくシデなので、ヒルコ/ハイネがそのようにしたいと言ったのか、シデがそのようにしたのかは定かではない。
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慎平が3ループ目で祭りの時に島の人間が消滅したが、「神様は賑やかなことが好きだからお祭りをする」を聞いたことがあるものの、その裏にはシデのように「お祭りと称して人を集め、一気に命を奪う儀式の一環」となると、また意味合いが違ってくるように思う。
着眼点がディープな記事になってしまったが、「鬼滅の刃」にしろ「呪術廻戦」にしろ、日本神話がテーマとして落とし込まれている作品は面白い。
と言う訳で、サマータイムレンダ、全人類必見です。
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余談
以前「BANANAFISH」の記事も書いているのだけど、この話も出雲大社の話をしているんですよ。こうなるといつかは出雲大社にも聖地巡礼で友ヶ島にも行きたい。
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