ある雪の日に人間とは何かを考える。
最近になって気付いたことがある。
これまで私はおひとり様上級者で誰かといるよりも1人でいる方が気楽だと思って生きてきたが案外孤独に対する耐性が無いのかもしれない。
先日友人の家に泊まった日のこと。
友人が出勤するのを見送った後、急に1人になった事への虚しさと寂しさが押し寄せてきた。家に帰っても静かな部屋でひとりきりになる事を考えたら家に帰りたくなくなって思い出の地巡りをすることした。
雪がチラつく中、傘もないのでフードを被ってひたすら歩く。
高校時代よく行った本屋で本を買い、よく親友と本当に辛い時に明日から頑張るためにって言いながら半分こして食べた思い出のハニートーストを1人で平らげた。
甘くて幸せだったあの味も久しぶりに食べると少し胃もたれして、それを誤魔化す様に苦い珈琲を流し込んだ。
向かいの席に座っていたはずの親友は今はいないし、喫茶店の内装もだいぶ変わった。
そんな風に一緒にいる相手も、過ごした街も、私も、少しずつ変わっていく。それが寂しいような気もするし、ちゃんとこの世界と共に歳をとっているような気もする。
さっき買った本を読みながら珈琲を啜る。
小説を読むと今住んでいる世界とは全く違った世界線で自分では無い何かになって生きているような不思議な感覚に陥る。
私は何に対しても感情移入しすぎるタチなので尚更物語の登場人物にでもなったみたいに喜怒哀楽がコロコロと変わるが、現実ではなかなか味わえない感情を本を通して感じる事で私もどこか人間として成長して深みのある人物になれるような気がする。
一緒に過ごす相手や環境、読んだ本や聴いた音楽、そういった自分を取り巻くもの達から少しずつ影響を受けて私という人間は形成されていく。
私らしさを持ち続けたいなとは思うけれど、その私らしさだって思い出せないほど前にここでは無いどこかで何かしらの影響を受けて得たものなのだろう。
そんな風に毎日少しずつ私らしさも変わっていく。
久しぶりに会った人に変わったねって言われるのも、変わらないねって言われるのも、どちらも褒め言葉のように感じる。
きっといつまで経っても人間は不完全で未完成で、だからこそもっと良くなろうとするのだ。
私が私であるために。色々なものを見て触れて自分のものにしようとする。
その危うく不安定な姿や完璧を目指して努力する様がその人の魅力として誰かの目に映るのだろう。
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