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体は食べたものでつくられる

るいさんの記事を見て唸ってしまった。

なるほど、自分とは何か?
私も子供のころから今に至るまで
何十回、いや何百回?自問自答した気がする。

この話は結構クセモノで
考え出すと「生きる意味」とか「幸せとは?」と
際限なく想像の(妄想の)翼が広がってしまう。
これでは時間がいくらあっても足りないので
私は毎回適当な所で区切りをつけていた。

おそらく、このテーマに対して
誰もが納得する答えが出ることはない。
ゆえに、考えるだけ無駄な事かもしれない。

だがしかし。
私はこういうのを考えるのが大好きだ。
いい機会なので私なりに自分とは何か?
結論まで考えて言葉にしてみようと思う。

・・・

まずは楔を打つ。
心の支柱をおっ立てる。
考えの軸、方向性を定めよう。

そういえば何年か前に
とてもいい言葉に出会った。

体は食べたものでつくられる
という言葉だ。

少し調べてみたらこの言葉
北原照久さんの名言の一部のようだ。
全文はこうである。

体は食べたものでつくられる
心は聞いた言葉でつくられる
未来は話した言葉でつくられる

いい言葉だ。
「そうだよね」と素直に頷いてしまう。

この言葉が、私がうすらぼんやりと描いていた
自分とは何か?をクッキリと際立たせてくれた。
そのあたりを深掘っていこう。

・・・

私の体は文字通り食べたもので出来ている。
お米も、パンも、麺も、カロリーメイトも。
そして肉、魚、植物、加工食品もわんさか。
幸いなことに食物にアレルギーはないので
一部の苦手な食べ物を除けばなんでも喰う。

食べたものは血と肉となり、筋肉を作って
頑強な骨さえも形成される。地味にすごい。
実感は薄いが体は自分の食事の結果なのだ。

だが体のキャパ以上に食べるのはよくない。
明確なペナルティとして体が壊れてしまう。
失明や四肢切断、神経異常は勘弁願いたい。

ここで私が言いたいのは
自分を活かすも殺すも食事次第。である。

これは本当に幸せなことなのだが
飽食の時代に生まれた私は選べる。食べ物を。

制限された食事と意思の力を使って
理想的なボディを作り維持することもできる。

逆に好きなものばかり際限なく食べまくって
満腹、満足!という幸福感を味わいまくって
文字通りに「太く短く」生きることもできる。

今、現在、令和6年8月5日。
noteを書いている私の体は、私の選んだ結果。
すなわち私の体こそが「私」を示すそのもの。
いわば「アバター」のようなものではないか。

私の心を、私以外に見てもらうことは難しい。
だからこその私の体。
これが私だ!と私以外の人に見てもらうもの。
それが私の体である。

・・・

さて、私は「体」だけでなく「心」の存在も
自分とは何か?の問いに答えるための
重要なパーツと認識している。

なるほど体は食事の選択の結果だ。
では、心は?

私は心も、選択の結果だと思っている。

何を学び、何を学ばないか。
何が大切で、何を切り捨てるか。
何が好きで、何を好きじゃないと認めるか。

決断して、実行して、結果を受け入れること。
それによって心は作られていくのではないか。

もちろん「何も自分で決断しない」という
選択肢もアリだ。
もっとも、捏ねる力が足りない粘土細工みたいに
不細工でうつろでいびつなものになると思うが。
それはそれで決断の結果なのだから尊重したい。

・・・

自分とは何か?に答えるための最後の工程として
「体」と「心」の相互作用があると思う。

冬の冷たい雪で靴が濡れてしまったとき
歩く度に足の熱と気持ちが奪われるように

凍え切った体とリンクして心も弱るように

温かいお風呂に浸かると気力が漲るように

「体」と「心」は密接に繋がっている。
体の状態が良いとハッピーになるのだ。

先ほど私は「心を他者に見せるのは難しい」と
述べたが、体を通して心を見せるのは可能だ。

簡単に言うと普段からニコニコしていたら
(あぁ、この人幸せそうだな)と
周りの人たちに伝わる、ということ。

笑顔はすごいのだ。
作り笑顔もそれはそれで素晴らしいものだけど
自然と出る笑顔は特にすごい。周りに伝播する。

とはいえ、笑顔を出すのが苦手な人もいる。
体から心を他者に見せるのが苦手な人もいる。
「相互作用」が思うように働かない人もいる。

みんな違う。
自分ができるからできないとおかしいは暴論だ。

得手不得手なんて人間である以上必ずある。
なぜなら得手不得手とは他者と比較しないと
どうやったって測れないものなのだから。

・・・

まとめに入ろう。
自分とは何か?とは。
私なりの答えはこうだ。

今鏡に映った自分を見て、感じたもの。

「かっこいい」と思ったならそうだろう。
「ブサイク…」と思ったならそうだろう。
「やさしい顔」と思ったならそうだろう。
「皺が増えた」と思ったならそうだろう。

なぜなら鏡の中の自分は
自分が選択してきた結果そのものの姿。
そして今の心の状態によって見え方は
いくらでも変わってしまうものだから。

鏡の中の自分は、何をやりたいのか?
答えてくれることもあれば
だんまりだってあるだろう。

自分の選択、すなわち考えること。

それを放棄しない限り、いくらでも
思い描いた自分に近づけると思っている。

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