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『罪と罰』⑥ 老婆殺人計画浮上

 さて、前回の続きです。ラスコーリニコフは、ドゥーニャが自分を犠牲にしてルージン氏と結婚をしようとしていることに憤りますが、ふと、そもそもの原因が自分にもあることに気がつきます。仮に、いずれ良い職業につけたとしても、当分はその目途も立たない。そんな自分の状況を皮肉に自虐しつつラスコーリニコフは言います。

「~未来の百万長者君、ふたりの運命をつかさどるゼウスの神、スヴィドリガイロフ家やワフルーシン氏から、おまえはどうやって、あのふたりを守ろうというんだ? 
十年後だと? なに、十年も経つうちには、母さんは襟巻の内職で、いや、でなくたって、とめどない涙で、目がつぶれてるだろうし、食うや食わずで干しになってるさ。
じゃ、妹は? まあ考えてもみたまえ、十年後、いや十年を待つまでもなく妹がどうなっているか? 察しもつくだろうが?」
彼は、ある種の快感さえ覚えながら、こうした自問で自分を苦しめ、あざ笑った。

『罪と罰』岩波文庫 p.98

 早く手を打たないとドゥーニャがルージンと結婚しなくてはいけなくなる。あるいはそうしなければ、極貧の中でつぶれてしまう。そういう焦る気持ちと共に、ラスコーリニコフはこう考えます。

 「でなければ、完全に人生をあきらめるんだ!」
彼は突然、われを忘れたように絶叫した。
「与えられた運命を、おとなしく、永遠に受け入れ、行動し、生活し、愛する権利をいっさい断念して、自分の中のすべてを押し殺すんだ!」
 「わかりますか、あなた、わかりますか、このもうどこへも行き場がないということが?」
昨日のマルメラードフの問いかけが、ふいに彼の頭に浮かんだ。
「だって、人間、せめてどこかへ行き場がなくちゃいけませんからな・・・」
ふいに彼はびくりと震えた。ひとつの、やはり昨日と同じ考えが、ふたたび彼の頭をかすめ過ぎたのである。

同上、p.99

 「すべてを諦めるか、そうでなければ、一歩を踏み出すしかない!」
ラスコーリニコフはこのように考える、というよりはむしろ思いつめます。落ち着きなよ、頭は良いんだからなんとか就職先を探すとかしなよ、と言いたくなるところですが、絶望しかけているラスコーリニコフは冷静ではいられません。
 とはいえこれは、ラスコーリニコフの被害妄想にすぎないというわけでもありません。実際、なんとかまっとうな手段で生計を立てるとしても、軌道に乗る頃には、母のプリヘーリヤは体がボロボロになり、妹のドゥーニャは尊厳を失っている可能性は十分にあります。そういう悪い予想があまりにも鮮明に描けてしまう。だからこそ、ラスコーリニコフはここまで追いつめられるわけです。
 そしてここで、いまいちど老婆殺害計画が頭をかすめます。しかも今回は単なる空想ではなく、現実的な重さをもって。

 ここで一つ注目したいのは、マルメラードフのセリフが間に挟まれていることです。マルメラードフのこのセリフ(「人間、せめてどこかへ行き場がなくちゃ……」)も、同じように極度の困窮からでてきたものです。そしてマルメラードフは、ラスコーリニコフと同じように、というか今はそれ以上に家族の負担になっています。つまりこの二人は、社会に圧迫されつつ家族を苦しめているという点で共通しているわけです。
 さらに、のちに出てきますが、この二人はキリストになぞらえられているところがあるという点でも共通しています。そして(ネタバレとなってしまいますが)この二人の行く末と言えば、一方は殺人を犯し、もう一方は自殺のような形で事故に遭い死んでしまうわけです。
 私はこの二人には強い対称性があると思います。同じような立場に置かれた二人は、かたや殺人、かたや(ほぼ)自殺というまったく正反対の、しかしどこか似ている方法によって問題の解決を図るのです。

 相変わらずちっとも進んでいないですが、今回はこれでおしまいです。個人的にはマルメラードフがとても好きなんですよね。マルメラードフの語り口、苦悩はどれも尋常ではありません。ただ、マルメラードフはドMであり、進んで苦しもうとするような人物でもあるので、何があっても人殺しとかはしないでしょうね。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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