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『罪と罰』抜粋と感想②

極貧のなか、売春婦として働いている娘の稼ぎを自分の酒代に溶かす父親。これはもうクズです。いや、クズと言うと言葉が悪いですが、これはどう考えてもマトモじゃない。クズで、悲劇的で、それでいて喜劇的なキャラクター、それがマルメラードフです。

というわけで前回の続きです。前回はこちら。

今回もマルメラードフを中心に見ていきます。場末の酒場でマルメラードフがラスコーリニコフに話しかけています。

マルメラードフにはカチェリーナという奥さんがいます。この奥さん、もとはそれなりに良い家柄の出身だったのですが、色々あって落ちぶれてしまい、下級役人のマルメラードフと結婚することになりました。その当時のことをマルメラードフはこう語っています。

おいおい泣きながら、両手をもみしだきながらでしたが、それでも私と一緒になった! というのも、どこへも行き場がなかったからなんで。おわかりですか、あなた、この、もうどこへも行き場がないという意味が?
いや!こいつはまだあなたにはおわかりじゃない……

『罪と罰(上)』岩波文庫 

もともと貴族女学校に通っているような、上流階級かそれに近い生まれだったカチェリーナ。実はマルメラードフの前に別の歩兵将校の旦那さんと結婚していたのですが、その人が死んでしまい、肉親にも見捨てられ、にっちもさっちもいかなくなっていたところで、マルメラードフと結婚しました。カチェリーナ的には正直結婚したくなかったかもしれませんが、仕方ありません。なんせ、「どこへも行き場がない」のですから。「どこへも行き場がない」、恐ろしい言葉です。若いラスコーリニコフ君にはまだわからんだろう、とマルメラードフは言っています。

では、結婚した後の二人の関係はどうだったのでしょうか。
カチェリーナはその家柄の影響もあり、とてもプライドが高いです。だから最初はぱっとしない下級役人のマルメラードフなんて全然好きじゃなかったと思いますが、次第に、いびつながらも二人の間には愛情があったのではないでしょうか。マルメラードフはカチェリーナについて、

いまだに先の主人のことを思い出すと涙ぐんで、それと比べちゃ私を責めるんです。いえ、私は喜んでいるんですよ、喜んで。だって、たとえ想像のなかだけでも、以前は自分もしあわせだったと思えればけっこうじゃありませんか……

同上

と語っています。マルメラードフ、困窮ぶりを見かねてわざわざ結婚したのに、こんな形で責められて、少し不憫です。しかしこれで怒ったりしないのがマルメラードフの良いところ。カチェリーナのことを心から理解しているからこその(そして愛しているからこその)、この泣かせるセリフです。楽しい思い出があればそれだけでいいじゃないか、人間、過去に生きることもできるよ……。

しかし最初のうちは結婚生活もなんとかなっていましたが、ある時マルメラードフはお酒に手を出してしまいます。

で、まる一年というもの、私は自分の義務を忠実に、後生大事に果たしましたよ。こいつには(と、ウォッカの小瓶を指ではじいてみせ)手もふれやしなかった。私にだって情というものがありますからな。ところが、それでもあれの気持にかなうことができなかった。そこへもってきて役所は首になる、それも私が悪かったんじゃなくて定員改正のためなんです。そのときでしたよ、これに手を出したのは!……

同上

今風に言えばリストラです。それで、マルメラードフは酒浸りになってしまう。皆さん、マルメラードフのことを責められますか?いや、人間というのは弱いものであり、酒というのは恐ろしいものですよ。なんでこんなことを言うのかといえば、私の身近にもアルコール中毒の人がいるからです。ふっとしたきっかけから、もう毎日、常にアルコールを摂取しないといられなくなる。本人の意志じゃどうにもならない。そういうことはたしかにあります。

そしてここから、さらに状況は極まっていきます。
マルメラードフは仕事を失い、その後も安定した収入はありません。そこで娘のソーニャが売春婦として働きに出ます。このソーニャ、マルメラードフとカチェリーナの娘ではありません。マルメラードフの前妻との娘です(マルメラードフもバツイチ)。だから、カチェリーナとソーニャの関係もなかなか微妙です。このソーニャが初めて体を売りに行くシーンも戦慄ものなんですが、そこは省略させていただきます。売春とは、許されるのでしょうか。いつの世も存在する商売の一つですが、果たしてそれでいいのでしょうか。そういう疑念も抱かされるところです。

そうしてなんとか生計を立てていたわけですが、マルメラードフ、なんと今この酒場に来る前に、ソーニャのところに行って、自分の酒代をせびっていたのでした!自分の娘が身体を売って稼いだお金を酒代のためにせびる!しかしソーニャは断りません。ソーニャは一言で言えばキリストを思わせる、愛の人です。

ああなったら、もうこの地上の人じゃない、神の国そのままですな……人間のことを悲しみ、泣いてくださるが、けっしてお責めには、お責めにはならん! ですが、これが、これがこたえるんですよ、責められないと、よけいこたえる!……

同上


地上では実現できないような愛を体現するのがソーニャです。しかしマルメラードフは前にも書いたようにドMですから、こっちの方がむしろこたえます。いや、マルメラードフに限らず、こういうことは割とあるかもしれません。

で、現にいま飲んでいるわけです! いや、もう飲んじまいました、はい!

同上

「はい!」じゃねぇだろ!
という感じですが、マルメラードフを責めてもはじまりません。もはやこれは運命に翻弄される、困窮した人間の悲劇です。

この後、キリストを幻視するような、錯乱したマルメラードフの赦しについての演説があるのですが、長くなったのでここまでにします。読んでいただき、ありがとうございます。しかしこのペースでいくといつまでたっても終わりそうにありませんね、、、。

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