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ドストエフスキー『罪と罰』⑭

 ラスコーリニコフの妹の婚約者であるルージンが、部屋にやってくる。彼は地の文で「気取り屋の紳士」と呼ばれているように、わりと嫌味な奴として描かれている。ぼくは初めて読んだときはルージンのことが本当に嫌いだった。ちなみにルージンは45歳。

「そら、そのソファの上に寝てる男ですよ! でもなんのご用です?」
このなれなれしい『なんのご用です?』が、気取り屋紳士の出鼻をくじいた。彼はあやうくラズミーヒンのほうを振り向きかけたが、どうにか思いとどまって、あわててまたゾシーモフのほうへ向きなおった。

『罪と罰』岩波文庫 p.292

 これはラズミーヒンのセリフだが、この男はこういうところが良い。彼のことだから、ただフレンドリーに接しただけかもしれないが、「こっちの身なりがみすぼらしいからといって、舐めてもらっては困るよ」という意思表示にもみえる。ルージンもその気配を感じて、自分のペースを乱されまいとしている感じが伝わってくる。


彼が身に付けているのは、すべて仕立ておろしの新調品で、何もかも申し分なかった。ただ難を言えば、すべてがあまりに新しすぎ、ある目的をさらけだしすぎていたということだろうか。

p.297

 「ある目的」とは、「自分の地位を誇示すること」といったところだろうか。地の文でもこういう皮肉っぽい言い方をするのがこの本を面白く読める要因かもしれない。


(↓ルージンのセリフ)
「ところが科学はこう言う。まず何ものよりも先におのれひとりを愛せよ、なんとなればこの世のすべては個人の利害にもとづくものなればなり、だからです。おのれひとりを愛していれば、自分の仕事もうまくいくし、上着も無事に残ることになる。経済学の真理はさらにこう付け加えます。安定した個人事業が、つまり、いわば完全な上着ですな、それが社会に多くなれば多くなるほど、その社会はより強固な基礎をもつことになり、社会全体の事業も上手くいくとね。・・・・・・」

p.305

 「汝の隣人を愛せよ」という『古い』見解の代わりにルージンは上のような意見を述べる。さて、どうだろうか。ルージンの意見にも正当性がないわけではない。むしろ現代では支配的な考え方といえる。これは当時の共産主義的思想を念頭に置いていると思われるが、資本主義の思想にも当てはまるだろう。ただ、(個人間の)利害関係を基礎においたこの考えに問題があることもまた、明らかではある。

 ラスコーリニコフもまた、表面的にはこの理屈にもとづいて老婆殺害を犯したといえる。

「さっきあなたが説教していたことを、最後まで押しつめていくと、人を切り殺してもいいということになりますよ……」

p.310

と本人も言っている。

 ところでニーチェの『偶像の黄昏』にはこんな記述がある。

汝自身を助けよ、そうすれば誰もが汝を助ける。すなわち、隣人愛の原則。

 文脈は異なるが似たようなことを言っているので気になるところではある。


 その後ラスコーリニコフは、婚約の件で「貧乏人を嫁にした方が恩を着せられてラッキーだ」とルージンは思っているのではないかと言う。ルージンはそれを聞いて激怒し、出て行ってしまう。

 他の人も出ていった後、ラスコーリニコフは自首の決意を密かに抱きながらこっそりと外に出る(明言はされていないが、たぶんそういうことだと思う)。

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