ドストエフスキー『罪と罰』⑭
ラスコーリニコフの妹の婚約者であるルージンが、部屋にやってくる。彼は地の文で「気取り屋の紳士」と呼ばれているように、わりと嫌味な奴として描かれている。ぼくは初めて読んだときはルージンのことが本当に嫌いだった。ちなみにルージンは45歳。
これはラズミーヒンのセリフだが、この男はこういうところが良い。彼のことだから、ただフレンドリーに接しただけかもしれないが、「こっちの身なりがみすぼらしいからといって、舐めてもらっては困るよ」という意思表示にもみえる。ルージンもその気配を感じて、自分のペースを乱されまいとしている感じが伝わってくる。
「ある目的」とは、「自分の地位を誇示すること」といったところだろうか。地の文でもこういう皮肉っぽい言い方をするのがこの本を面白く読める要因かもしれない。
「汝の隣人を愛せよ」という『古い』見解の代わりにルージンは上のような意見を述べる。さて、どうだろうか。ルージンの意見にも正当性がないわけではない。むしろ現代では支配的な考え方といえる。これは当時の共産主義的思想を念頭に置いていると思われるが、資本主義の思想にも当てはまるだろう。ただ、(個人間の)利害関係を基礎においたこの考えに問題があることもまた、明らかではある。
ラスコーリニコフもまた、表面的にはこの理屈にもとづいて老婆殺害を犯したといえる。
と本人も言っている。
ところでニーチェの『偶像の黄昏』にはこんな記述がある。
文脈は異なるが似たようなことを言っているので気になるところではある。
その後ラスコーリニコフは、婚約の件で「貧乏人を嫁にした方が恩を着せられてラッキーだ」とルージンは思っているのではないかと言う。ルージンはそれを聞いて激怒し、出て行ってしまう。
他の人も出ていった後、ラスコーリニコフは自首の決意を密かに抱きながらこっそりと外に出る(明言はされていないが、たぶんそういうことだと思う)。
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