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ジョンヒョンさんを通じて生と死について考える

こんにちは!
私は昨年KーPOPの世界に飛び込んでからというもの、沢山のアイドルの曲やパフォーマンスを観てきました。

そして最近になって突然SHINeeの魅力にハマってしまったのですが、本当にいい曲ばかりでメンバーの仲の良さや人柄がパフォーマンスにも現れているなぁと感じます。(個人的にはViewがめちゃめちゃ好きです)

何年経っても色褪せない曲ばかりですがこのアルバムの収録曲は特に名曲揃いな気がします。

SHINeeは今年でデビュー16周年ですが、16年と言えば彼らがデビューした年に生まれた子が義務教育を終えるくらいの歳月ですよね。それほどの長い期間アイドルとして第一線で活躍してきているというのは本当に凄いことだと思います。
実際彼ら自身も最初はそんなに長く続けるつもりは無かったと話していますし、ここまで来るのに本当に色々なことがあったと思います。
特にジョンヒョンさんの死はメンバーにとってもシャヲルの皆さんにとっても衝撃的な出来事だったと思います。
私がその事について知ったのは本当につい最近ですが、彼らの過去の楽曲を聴いているとジョンヒョンさんのパートは誰も代わりを務められないと思いました。唯一無二です。
それでもメンバーや遺族の意向で日本公演を開催してくれた事、本当にありがたく思いますね。




さて、最近私はシャヲルの皆さんが面白く分かりやすくまとめてくれたメンバー紹介の動画やコンテンツの切り抜き動画を観るのを楽しみにしているのですが、その中でジョンヒョンさんの人柄や考え方に触れる機会がありました。

彼は本当に繊細で優しくて誰にでも寄り添うことのできる人だなと思います。メンバーといる時はムードメーカーですがラジオDJとしてリスナーと話す時や作曲家として作業する時はまた違った表情をみせてくれますね。
ですが、どの仕事をしている時も共通して言えるのは本当に何に対しても手を抜かない努力家で全ての物事に真摯に向き合っているということです。
それがジョンヒョンさんの最大の魅力だと思いますが、一生懸命過ぎるが故に上手く息抜きすることや自分を労う時間が少なかったのでは無いかなと思います。



ここからは私の話になってしまいますが、

⁡去年の春ぐらい、いつも割と不安定な心が限界を迎えて落ちるところまで落ちてしまいました。今思えば鬱っぽくなっていたのだと思います。
なんで生きているんだろう。生きるのも死ぬのも同じじゃないかって何度も思いましたが、臆病な私は死ぬ勇気は無くて、というか死ぬ力も湧いてこなくてただじっと淡々と同じような日々を過ごしていました。
⁡きっと、もっと責任感も意思も強い人なら私みたいな精神状態の時に勢いのまま死に向かうことが出来るのだろうと思います。
⁡私は鬱の原因が今の職場にあると分かっていたので退職して新しい場所で働き始めました。
仕事を辞める前は私が辞めたら誰が代わりを務めてくれるのだろうとか、迷惑をかけるだろうとか、無駄に難しく考えすぎていたけれど、⁡辞めることを伝えてみると案外私が居なくても世界は回っていくんだという事を実感しました。
仕事において私の代わりはいくらでもいる。⁡
⁡でも私の人生においては私の代わりなんて誰も務まらない。だから私は私のやりたいように過ごすことにしました。


⁡ですが、それが芸能人だったらどうでしょう。
その人の代わりは誰もいないです。ファンだってその人だから好きになったのだと思います。その熱い気持ちが応援になる時もあればプレッシャーに感じる時もあるのだろうと思います。
優しい声だけでなく、どこの誰か分からない人達に自分を評価されたりアンチを受けたりすることもあるし、その言葉で傷ついても表舞台に立つ人間なのだから仕方ないと簡単に片付けられてしまう。

⁡身体の傷みたいに目に見えて痛そうだったらきっとみんな心配そうにこっちを見るし、どれくらい痛いのか何となく分かってくれると思います。⁡
⁡だけど心の痛みは人には上手く伝わらないし、勇気を振り絞って打ち明けた所でわかったフリされたり大切な人の寄り添いが自分の傷を癒す薬にはならない事を実感するともっと深く沈んでいってしまうだろうと思います。




僕は内側から壊れた。

ゆっくり僕を食い荒らした憂鬱は結局僕を飲み込み、僕はそれに勝てなかった。

僕は僕を憎んだ。途切れる記憶を握り、いくらしっかりしなきゃと叫んでも答えはなかった。

詰まった息を楽にしてあげられないなら止めたほうがいい。

僕に責任が持てる人は誰かと聞いた。

あなただけだ。

僕は完全に一人だった。



終らせるという言葉は簡単だ。

終らせることは難しい。

それが難しくて今まで生きてきた。

逃げることだと言われた。

そう、僕は逃げたかった。

僕から。

あなたから。

誰かと聞いた。僕だと言った。また僕だと言った。そしてまた僕だと言った。

なぜ何度も記憶を失うのかと言われた。性格のせいだと言われた。そうですね。結局全部僕のせいですね。

気付いてほしかったけど、誰も知ってくれなかった。僕に会ったことがないから僕がいるのも知らなくて当然。

なぜ生きるか聞いた。ただ。ただ。みんなただ生きていると言った。

なぜ死ぬのかと言われたら、疲れたからと言いたい。

苦しめられて悩んだ。もううんざりな痛みを歓喜に変える方法は学んだこともなかった。



痛みは痛みでしかない。

そうしないでと僕を責めた。

なんで? どうして僕は自分の思い通りに終わらせてはいけないのですか。

なぜ辛いのか考えなさいと言われた。

とてもよく分かっている。僕は僕のせいで辛い。全部僕のせいで僕が悪いのだ。

先生、こんなことが聞きたかったんですか?

いいえ。僕は何も間違っていません。

落ち着いた声で僕の性格のせいだと言ったとき、医者ってとても楽なもんだなと思った。



なぜここまで辛いのか不思議なくらいだ。僕より辛い人々もちゃんと生きているのに。僕より弱い人もしっかり生きているのに。

違うかもしれない。生きている人の中で僕より辛い人はいないし、僕より弱い人もいない。

それでも生きていけと言われた。

なぜそうしなきゃいけないのか数百回聞いても僕のためではない。あなたのためだ。

僕のためと思いたかった。

知らないくせに勝手に言わないで。

なぜしんどいか考えてみなさいなんて。何回も言っただろう。なぜ僕がしんどいか。それだけでこんなに辛くてはいけないのか? もっと具体的なドラマが必要なのか? もっとエピソードがあってほしいのか?

もう言っただろう。もしかしたら聞き流したんじゃないの? 勝ち抜くことができるものなら傷は残らない。



世界とぶつかるのは僕の分け前じゃなかったみたい。

世の中に知られるのは僕の人生じゃなかったみたい。

みんなそれで大変だと言った。ぶつかって、知られて大変だった。なぜそれを選んだのか。笑えるもんだ。

今まで耐えてきたのが不思議なくらいだ。

何をもっと言えるか。ただお疲れさまと言ってほしい。

これまでよくやったと。苦労したと言ってほしい。

笑うことはできなくても、責めて送り出さないでほしい。

お疲れさま。

本当にお疲れさま。

さようなら。

ジョンヒョンさんの遺書


この遺書を読んだ時、自死を選ぶ人の生々しい感情を初めて目の当たりにした気がしました。
彼の紡ぐ言葉はこんな時でもどこか優しくて、繊細な気がしました。
気持ちが分かるって言ってしまったら、軽々しくそんなこと言うなって思われるかもしれないけれどこの文章を読んだ時、私もあと一歩進む道が違えばこの世界にいなかったかもしれないと感じました。

⁡芸能人やアイドル、まだ若くて未来のある人達が自死という選択をしてしまう事を、ファンや家族や友人はなんで死んでしまったのかと悲しんだり怒りを向けたりするけれど、私は死を選んでしまった事を誰も責めることは出来ないと思います。
本人だって本当は生きたかったはずで、けれど死にたいと思いながら生きるくらいなら死んだ方がマシだと思うのも理解できるし、結局周りがどんなに声をかけても最後の決断は本人にしか出来ない。⁡
⁡だから死んでも尚故人を責めるのではなくその選択をしたことを受け入れてあげなければならないし、残された者はあの時寄り添えていたらと後悔するのではなく、今まで通り生きていかなければならない。⁡
⁡そしてふとした時に思い出すのは故人との楽しい思い出であって欲しいなと思います。
⁡そうすれば憎しみも悲しみも無く素直に心から貴方が恋しいと思えるのだと。






人は何かと、誰かと自分を比べたがりますよね。
それは幼少期から誰かと比べられてきたから仕方が無い事だと思いますが、こうなりたいという理想が明確であればあるほど、その理想と現実とのギャップに押しつぶされてしまう気がします。
フリーターするくらいならどこでもいいから就職しろとか、専門学校より大学に行くべきとか。
容姿だって、その目と鼻と口で、その髪型で、その骨格である事がその人の個性で魅力なのに、
二重が美しい、鼻は高い方が良い、唇は厚い方が可愛い、髪は長く、痩せているのが美しいという洗脳を受け続けることでそれが正解だと思ってしまう。
その型にはまらない自分はいけないものだと思ってしまう。



「僕より辛い人々もちゃんと生きているのに。僕より弱い人もしっかり生きているのに。」

自分が辛い時ですら人と比べて何故自分は踏ん張れないのかと自分を責めてしまう。


「違うかもしれない。生きている人の中で僕より辛い人はいないし、僕より弱い人もいない。」

頭では分かっていても心の癒し方は分からない。


⁡私の周りでも心が病んでしまっている人は沢山いるけれど、そういう人に対して早く元気になれとか頑張れとかそういう言葉をかけるのは無責任だなと思います。
⁡きっと本人が1番分かっているし、分かっていても出来ないくらい今は元気がないのだから。⁡

⁡時間が解決してくれることもあるし、悩んだ時間も苦しい時間も無駄にはならない。
だから私はむやみに口出しはしないけれど、その人が死を選ぶなら死ぬ前に楽しい思い出を作ってあげたい。それでもっと生きたいと思ってくれれば私もずっと一緒に生きていきたいし、冥土の土産と思って死んでいくなら笑顔で見送りたいなと思います。

結局死ぬのも生きるのも個人の自由でどちらが良いとか悪いとか無いのだと思います。
死んだ後の世界については分からないですが、死ぬ事で抱えてきた悩みから解放されて楽になれるのならばきっとそれはその人にとっては正解なのだろうし、逆に生き続けることで味わえる幸せも沢山あります。

私は何かに対して深く思考を巡らすことが好きなので、ジョンヒョンさんを通じてまた新たに自分の視野や価値観が拡がって良かったと思いますし、悲しい事ではあるけれどジョンヒョンさんの死が誰かにとっては何かしらの意味があったりするのだろうと思います。


芸能人の良いところの1つとして、亡くなっても尚その人の記憶が色褪せないという点があると思いますが、ジョンヒョンさんのパフォーマンスも歌声も曲も笑顔も、未だに誰かの背中を押してくれています。それだけでも生きていた意味は確かにあったと私は信じたい。
心が沈んでいる時はただ生きているだけだと思っていたかもしれないけれど、貴方のおかげで生きられた人もいるし、貴方のおかげで幸せだった人もいたよと伝えたいです。


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