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トラウマとの対峙

あれから19回目の秋が来た。
半ば強引に大人と言える歳まで成長して、やっとたどり着いた1つの扉。

トラウマと形容したその思いと、今向き合って見ようと思う。

トラウマとは冷凍保存した記憶なのだという。
確かにそうだなと思ったのは断片的な写真のような鮮やかさであの場面を思い出せるのだ。鮮明に何かをきっと私はまだ覚えていて、それは過去のものなのに生傷のように触れれば痛いのだ。

拒絶反応で解離し切り離した感情も多くあった。
私は痛みに鈍感で、それは数針縫うような傷ができても痛まない程度に鈍感だ。

私はいつからか「自分は火星人だから」と言い訳をするようになった。「だから人間の気持ちはわからないよ」そう冗談を仄めかして不思議ちゃんな一面を同級生に見せていたことがある。
相手の気持ちも、自分がそれを聞いてどう思ったかも、分からない。なんでもいいと切り離された感情を押し殺して、私はキャラクターになり切った。

まるでピエロのように。

その時の人格は長年私の中に居座り続けた。
いい子ちゃんで、人の悪ふざけを見ては周りに合わせて笑ったり、大人に目をつけられないように子供を演じた。

成長してく体に僕は心から動揺した。
挙動だけでは隠せない、体の成長。
周りも女の子らしく成長していく中、女になりたくない。けど女であることから逃げられないと日々葛藤しながら男女なんて、性別なんてとそんなカテゴライズに振り回されたくないと激しく嫌悪感を抱いたことを覚えている。

自分は先入観を持ってしまうと周りが見えなくなるタイプだったから、必死に思い込まないように抵抗したのだ。違うはずなんだ、あの時あの場所あの人とは違うと幾重にも暗示をかけて、目の前の問題から目を背けた。

進路を選ぶシーズンになると
欠落した感覚に心は鉛のように重くなった。

なりたい職業はなんですか?

地獄のような質問だった。
必死に誰かに認めてもらえる答えを探して、軋む心を置き去りに無理やり今できることを選んだ。

高校生になると義務感でバイトを始めた。
責任感だけで体を動かして必死に普通の学生にしがみついた。

それしかなかったから。それだけがステータスだったからだ。

そんな時代も終わりを迎えるのはあっという間で、20歳をすぎて専門を出て、心のどこかで諦めてはいた。でもやるしかないと奮い立たせて社会人になった。

そして、失敗をした。

今思うと生きてるだけマシと言うやつだ。
何度も生きながら心を殺してきたのにだ。

私の体は満足に動くのがある種の皮肉めいて幸せな限りだ。

幾度とあった葛藤も無謀にチャレンジた失敗も今頃になって心に響き始めた。遅いよ、今更かよ……やっとだよ。

ここからがスタートなんだって思えた、無理に繕ってない。本心である。

まだぎこちないけど出せるようになったSOSも
自分の状況を理解するためにつけてきた知識も
強がって傷ついているのに止められなかった足を、私は今自分の肩を叩いて「止まっても平気だよ」と言えるのだ。そのまま崩れて地面に沈んでいくことはないと、言ってあげれるのだ。

「大丈夫、また這い上がれる」

何度も地面を這いながら傷だらけになった体を労わるように、私はそう自分に言って上げられるのだ。


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