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写実と浪漫の間で恐竜は鳴く

 少し前に、福井県に行ってきた。昨秋の遠野旅行で味を占めた私は、すっかり旅人モードになっているらしい。泊まりがけの旅行をこんなに間隔を空けずに(しかも自発的に!)連続したのは、私の人生としてはとんでもない快挙である。

 今回の旅のメインは福井県立恐竜博物館。過去に一度だけ行ったことがあったが、何度でも訪れたい博物館だ。FPDMという略称からして格好良い。もしも売店でFPDMと書いた腕章が売っていたら、使い道もないのに買ってしまう気がする。

腕章(イメージ)


 恐竜と妖怪に感じるトキメキは、けっこう似ていて、少し違う。
 どちらも様々な種類がいるので、大雑把な言い方だが、博物学的な好奇心を刺激される。また、恐竜にも妖怪にも実際に会ったことがない、という点も共通している。
 違うのは、(自然科学の枠組みとして)実在したかどうかだ。恐竜には【化石】という物的証拠があり、「過去には間違いなく地球上に居ました」ということになっている。いっぽう妖怪のほうは、語りとして存在したとしても、実物が残るような意味では「居ない」ものだ。

 やや脱線になるのだが、妖怪が好きだと話すと、「実録!座敷童子が住む宿!(仮題)」系の番組も好きなのかと問われることがある。しかし私は、こういった趣向にはあまり惹かれない。なぜかと言えば、その「座敷童子の実在を信じています!本当に居るんです!!ほらやっぱり居ました!!!」という姿勢に違和感を拭えないからだ。
 似て非なるものとして、遠野のカッパ捕獲許可証や手配書は「必ず捕まえてみせるぞ!!」と血走った目で作られたものではないと想像される。これが仮に、珍しいけれど「実在」するものであるならば、たとえばイリオモテヤマネコであるならば、捕獲許可証を発行するなどということは決して無いだろう。万が一にでも、見つけて乱暴に捕まえようとする素人がいたら大変だからである。つまり、カッパ捕獲云々はあくまで実在しないことを前提としてのユーモアなのだ。
 とはいえ私が狭量なだけで、もしかしたら先にあげたテレビ番組も居ないものを居るかのように語るという趣向であり、視聴者にツッコミを委ねた洒落なのかもしれない。結局は好みの問題だろう。

 さて恐竜の話に戻る。翻って恐竜に感じる好奇心や高揚感は、それが地球上に実在したという知識に基づいている。先にも述べた通り、巨大な骨や足跡や卵などの痕跡が掘り起こされており、彼らが「居た」ということには信憑性がある。一方で私たちは現在、恐竜がどのように生活しているのかを観察できない。今は居ないからだ。だから残された手がかりをもとにして、想像力を遊ばせることができる。

 FPDMの魅力はたくさんあるが、ひとつ挙げるなら「福井県で発見された恐竜の化石を、福井県で見ることができる」ことだ。今ここで私が踏みしめている大地を、1.2億年くらい遡ればフクイラプトルやフクイサウルスが闊歩していたと思うと、否が応でも胸が高鳴る。
 そんなロマンを具現化してくれたのが、昨年7月のリニューアルで新設された3面シアターだ。ここでは現実と地続きに、恐竜の時代に迷い込むような体験ができる。なお、人間の視野は約180°あるらしいが、このシアターでは三方のあちこちで恐竜たちのハイライトシーンが繰り広げられるため、視野270°くらい欲しくなる。とはいえ急に都合よく進化はできないので、プレーリードッグのようにきょろきょろするホモ・サピエンスが現れてしまった。
 このシアターを備えた新館にはガラス張りの収蔵庫があって、標本たちの楽屋裏の姿を覗くことができるのも嬉しい演出だ。

 実際には会えないが恐竜に会ってみたい、そんな気持ちをFPDMの精巧なロボットや映像作品は叶えてくれる。それと同時に、数々の化石標本や研究史の展示は、私たちに自由に想像する余地を与えてくれる。その両者のバランスがとても良いというのもFPDMの魅力だろう。

 最後に現実的な話。県立の施設だからか、これだけ骨太な(文字通り)展示を備えながらも入場料が良心的なのでびっくりする。今から三度目の訪問が楽しみだ。

/また会いましょう\

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