芸能人への誹謗中傷をやめろという発言の愚かさ(5/24日記)

 きゃりーぱみゅぱみゅさんという歌手がこの間流行った検察何たら法の改正に反対します、といった内容のツイート(今は削除された、全文は覚えていない)をして、そのツイートへのリプライや引用リツイートが地獄となった。
 まあ大体想像できると思うけれど、一歌手が~とか何もわかってないやつが~とかまあ内容はどうでもいいから割愛するけれど、とにかく彼女への誹謗中傷というやつがいくつか見られた。
 これはまあよくある話で一般化するとどういうことかというと、芸能人が政治的な発言や、政治でなくともファン(そう名乗るもの)に求められたものではない発言をしたときにおこるものであると考える。

 今回は検察庁タグがそれなりに流行ったことも原因となり、その一連の流れが様々な意見を呼ぶようになった。今日はきゃりーぱみゅぱみゅさんへの誹謗中傷を批判する人たちをさらに批判(批判というほどのものかはわからないけれど)する方向で少し日記を書いてみようと思う。一つ前置きするが私はこの文章を書きたいから書いているわけであって自分が正義だとか、正しいとか一切思っていない。

 私の意見はどのようなものかというときゃりーぱみゅぱみゅさんへの誹謗中傷を批判している人はその行為そのものをしたいからやっているという自分の行動への認知をもつべきだ、というものだ。
 それは一体どういうことか、つまり彼らは「きゃりーぱみゅぱみゅさんを誹謗中傷しているひとをを批判したい」という欲求のもので行動しているということで、そこに正義だとか道徳とかを持ち込むなといったことだ。

 一度話はそれるが、日本は法律のある国家である。また現在正式に機能しているかどうかはわからないけれど、国会は法律を作ったり変えたりする場だ。日本国に住む全員の正義や道徳に関する意見が一致しない限り、我々はこの法律に身をゆだねて生きていくことになる。これはどういうことかというと正義なんて言葉には何ら意味がないということだ、一つ意味があるとすればその響きは心地よく、使う人間に全能感を与える、ということだけだ。

 人間はそれぞれが自由意思で行動している。私はその自由はできるだけ広い範囲で認められるべきであると思うし、そうなることが自分の中で善いことだと思う。そのうえでそこには明確な決まりがあると考える。それは何か、自分に許す行動の範囲は、それすなわち他人に許す行動の範囲だということだ。人を殴ってもいいと考える人は他人も人を殴っていい思うことで完結する。この理論をつかって生じる問題は、人によって自由のレートが違うということだ。これはつまり、殴ってもいいから殴られてもいいと考えている人と、殴られるのは嫌だから殴るのもダメだと考える人が世の中には共存する、ということだ。この問題を解決するために国家はあるし法はあると考える。

 私は何度も言っているが、日本には法律というルールがある。私はこれをかなりの強さで絶対視しないといけないという意見を持っている。これはなぜかというと絶対視しないことはルールを守る意味も弱めてしまうからだ。
 このルールが先ほどのレートの違いを解決する。違うレートで生きている人間が一つの社会で生きるためにはそれが必要だ。

 さて、ここで本来の話に戻る、私が主張したいことは本当にきゃりーぱみゅぱみゅさんを誹謗中傷している人にそれをやめさせたいのならば、彼らを第三者がさばけるような法律を作るべきだ。私は法律の専門知識なんてこれっぽっちももってないからわからないけれど、おそらく現状第三者が当人たちの誹謗中傷を見てそれに罪を与えることはできないと思う(というかできるならそれをすればいいと思う)。そのためには同じような意見を持つ人間を立候補者として擁立、または自分が立候補し、上記の法律を作ればいいい。ただネットでダメなことだとかなんとか言ったってそんなものはこの日記と同じ唯の個人の趣味に過ぎない(これはもちろんだが趣味だという認知を持って、大衆の正義の名のもとに人を裁くの楽しーーー、なんて考えているならそれはその通りだから今後もぜひ楽しんでほしい)。

 そろそろ話しが長くなってきたからそれなりにオチを付けるとするならば、芸能人の皆さんは、自分の芸能人性の効用を最大限にしておきたいならそのような発言は控えたほうが、個人としていいんじゃないでしょうかと思う(それを上回って発言したいならぜひぜひ)。
 また、楽しい楽しいツイッターランドに住んでいるみんなももっと理論とか本質とかに目を向けながら自分の行動への認知を深めたら面白いんじゃないかな、などと。。

 こんなくそ文章をさいごまで読んでくれてありがとう。

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