三日坊主の僕が日記を書いて10日経過しました / #じょんならん日記
AM2:20
一日の終わりに日記を書くことは、想像以上にいい習慣なのかも知れない。日記というより散文やエッセイ、雑記の分類になるものだと思うが、。
その理由はとりあえず、三つ。
僕が日記を書く理由
一つ目、自分を見つめ直すいいきっかけになる。
日記を書く(主に深夜に)という習慣を日々に取り入れてから、日々のふとしたタイミングで「これは日記に留めようかな」「今日は何を日記に書こうかな」というようなことが一瞬、脳裏をよぎる。
日中はある意味、「なにかを日記という形でアウトプットする」ということを自分に課していることで、毎日なにかアクションや思考のブラッシュアップを行わなくてはいけない状態になり、目の前のできごとやタスクに対してインプット⇄アウトプットのサイクルが少し速くなっている気がする。
また、日記を書くときは今日の一日を振り返りながら、印象的な出来事や思考、印象的ではないけどその時頭に浮かんだ刹那的な考えを自分の言葉で紡いでいく作業があるため、言わずもがな自分を見つめ直す時間になっていると思う。
二つ目、人生の連続性を可視化できる。
一秒、一時間、一日、一年、、。
私たちは、本来連続的に流れているはずの目に見えない”時間”をわかりやすく目に見えるように”概念”で区切り、共通言語として使用している。
しかしいくら概念で区切っても、私たちは振り返ることでしか、過ぎ去った時間の連続性と不可逆性を認知できない。
高校生の時、数学の授業中は、この時間が永遠に続くように感じるのに、卒業式になってみると過ぎた時間の積み重ねと尊さに気づく。
つまり、忘れてしまって蔑ろにしてししまいがちな人生の連続性を、「日記」という形で振り返る機会を増やすことで取り戻そうという試みだ。
三つ目、想像以上にハードルが低い。
僕は、コツコツ努力することが苦手だ。毎日コツコツ勉強している人やジムに毎日通っている人を見ると、本当に尊敬している。
そんな僕でも、「日記を書くこと」は、もう10日は続けられている。(少ないけど)
その理由には、もちろん元々僕が文章が好きだということもあると思うが、そのほかにも、「制限を設けずに書いているから」「好きなことを思いつくままに書いているから」「30分以内で書けるから」「毎日記事が積み上がっていくのが楽しいから」「NoteのUIが良くて投稿が簡単」などがあると思う。
まとめ
要するに、「日記を書く」ことは僕にとって、時間的にもマインドフルネス的にもコスパが良い作業であり、もはや趣味のようなものになりつつあるのかもしれない。
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今日は、気がついたら「僕にとって日記を書くこととは」みたいなテーマで書いていました。こんな本が書けるくらいまで習慣化できたらいいな。
おやすみなさい、
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