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私たちは「記号の地獄」に生きている。

「記号」とは「私はあなた達とは違う」差異を表すモノ。自己実現は他者との差異というカタチで規定され、私たちが当たり前だと思っている日常的な行動は差異による消費社会のシステムの中に組み込まれている。

「消費社会において、私たちは欲求を持つ存在であることを強いられている」ジャン・ボードリヤール

消費とはこの記号の交換。うん、分かりにくいね(笑)。消費される目的を過去の経緯で、携帯電話とかで表現すると
①機能や重さ重視
⇒②デザインや素材感重視
⇒③ブランドやストーリー性重視
といった具合になる。

振り返ると確かに、当時軽さをうたったCM多かったし、より軽いモノ買った。だんだんその軽さの限界に来ると差別化は他の商品よりデザインやコンセプト的なモノ買った。そして今、スマートフォンは見た目、機能ほぼ変わらない。。。購買意欲は、そのモノを「持っている」というブランド。確かにiphoneはアップルのストーリー性(なんとなくカッコいい)で買ってる。

あなたも思い当たるところあるかも。

そしてジャン・ボードリヤールは私たちの持つ「欲求」が個人的・内発的なものとしては説明できず、他者との関係性「社会的」なものと言っている。

消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動を取るが、この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない。他人との違いを強調することは同時に差異の全秩序を打ち立てることになるが、この秩序こそはそもそもの初めから社会全体のなせる業であって、否応なく個人を超える。

どれだけ私たちが無意識的(実は無意識ではない)直観的に行ったとしても「それを選んだ」「他を選ばなかった」の時点で「記号」は生まれてしまう。

このブランド性は個人(パーソナリティ)にも置き換わる。

自己実現っていうのは、少なからず(いやほとんどが)他者との違いでしかなく、フリーランスにおいては特に差別化を行う場合は、ブランド性や(生き方や考え方含む)ストーリー性が大事になってくるね。

逆にいえば「記号」を持たないフリーランス、モノやサービスは自然淘汰される運命にあるといえる。

その「記号」とやらは周辺社会からの影響でしかないのに。

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